吉田ヶ原の加富森、秦氏が祖の神饒速日命を奉斎、10月渡御
加富神社 三重県四日市市山田町2187
[住所]三重県四日市市山田町2187
[電話]059-328-1169

加富神社(かふじんじゃ)は、三重県四日市市山田町にある神社。四日市あすなろう鉄道内部線の内部駅の北西約5キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「加富神社(伊勢国・三重郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。往昔、当地は吉田ケ原と称し、そこに10丁四方、松彬の生茂れる地を加富森と称し、神籠を立て奉祀したと伝わる。

御巫清直『伊勢式内神社検録』によれば、当村の神官は秦氏で、秦忌寸の末裔を称し、『新撰姓氏録』山城国神別に記載された祖神として、神饒速日命を祀ったという。

現在の神職も秦氏。その後、森の中央に宮を建て、加富大明神と号したという。『伊勢国内神名帳』に「賀保太神」とある。

当初鎮座した地は、現在地の南西。現在も石碑が建てられている。また、清水の湧き出る泉の痕も見られるが、泉は道路拡張のため水脈が断たれた。

現在地への遷座時期は不明。鎌倉時代後期の文永9年(1272年)、社殿を修理した。応長元年(1311年)、修覆の棟札がある。

南北朝時代、北畠大納言顕能が国司当時、神供田があって、内外両宮に餅米を供し、当社の鏡餅の料としたと伝わる。

戦国時代の永正5年(1512年)、永禄3年(1560年)にそれぞれ社殿が造営された。安土桃山時代の文禄3年(1594年)、神供田はことごとく没収された。

江戸時代中期の正徳3年(1713年)、吉田家より正一位加富大明神の神階を授かった。明治になり、現社号に改称。

村社に列し、明治39年(1906年)12月、神饌幣帛料供進社に指定された。明治41年(1908年)以後、境内社の神明社など、大祠・小祠を合祀した。

大正15年(1926年)、山田町の大工である矢田三治郎の手になる、現存の拝殿が再建された。平成19年(2007年)、本殿、玉垣が新築された。

主祭神は天饒速日命。下記の神々を合祀する。例祭は10月10日で大祭、神輿の町内巡行がある。境内社に稲荷社がある。

素盞嗚尊豊受大神誉田別尊金山毘古神大己貴命倉稲魂命保食神天照大御神伊弉冉命五男三女神大山祇命麓山祇命・中山祇命・市寸島比売命豊石窓神・櫛石窓神・文屋宮田麿・伊予親王・吉備真備・橘逸勢・崇道天皇・火雷神・藤原大夫人・天児屋根命・藤原広嗣

2月1日が豆まき神事の節分祭、3月9日が祈念祭・御鍬祭で五穀豊穣を祈り、獅子舞が奉納される。7月14日が天王祭で、盆踊り、六角あんどん、夜店などで賑わう。

なお、式内社「加富神社」の論社は他に、市内波木町に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、五穀豊穣
加富神社 三重県四日市市山田町
【関連記事】
三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧