式内・天一鍬田神社、八島明神とも、明治期に合祀で改称
[住所]三重県鈴鹿市東庄内町2453
[電話]-
庄内神社(しょうないじんじゃ)は、三重県鈴鹿市東庄内町にある神社。関西本線の加佐登駅の北西約10キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「天一鍬田神社(伊勢国・鈴鹿郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。もとは村の中に鎮座したが、安土桃山時代、天正伊賀の乱(1578年-1581年)の後、下宮代の地に移ったと伝えている。
当社は「天一鍬田大神社」と表記された木札を所蔵しており、江戸時代中期の『三国地誌』などでも当社を式内比定している。
近世の『亀城兎園記』などには、当社について「八島明神(八嶋明神)」と記している。入鴫明神とも。
大社として、御厨・御園が多く、祭典は盛大だったとされる。後に衰えたが、江戸時代には亀山藩主から供田を寄せられた。
明治初年(1868年)、村社に列し、明治39年(1906年)、神饌幣帛料供進社に指定された。明治40年(1907年)8月20日、村内40社を合祀して現社号に改称、現在地に移転した。
旧地には現在、明治33年(1900年)8月に氏子によって建てられた「延喜式内天一鍬田神社」と刻まれた石の社標が現存する。
現社地は、八島川と寺川の合流点近く、庄内小学校の北。旧社地の下宮代の地は南条の西、矢島川沿い、現地のほぼ真南。
平成15年(2003年)、養蚕神社を合祀した。主祭神は伊邪那岐命で、下記の21柱を祀る。例祭は10月10日。7月には当社境内でこども夏祭りが行われる。
速玉之男命・神直比之神・御食津神・久久理比売神・須佐之男命・誉田和気命・伊邪那美命・大事忍男命・大直比之神・金山比古神・大山咋神・木花佐久夜比売命・大雀命・天照大神・八十禍津日神・大山祇命・火之加具土神・大名牟遅命・市杵島比売命・菅原道真
【ご利益】
厄災除け、夫婦和合、家内安全(公式HP)
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庄内神社(しょうないじんじゃ)は、三重県鈴鹿市東庄内町にある神社。関西本線の加佐登駅の北西約10キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「天一鍬田神社(伊勢国・鈴鹿郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。もとは村の中に鎮座したが、安土桃山時代、天正伊賀の乱(1578年-1581年)の後、下宮代の地に移ったと伝えている。
当社は「天一鍬田大神社」と表記された木札を所蔵しており、江戸時代中期の『三国地誌』などでも当社を式内比定している。
近世の『亀城兎園記』などには、当社について「八島明神(八嶋明神)」と記している。入鴫明神とも。
大社として、御厨・御園が多く、祭典は盛大だったとされる。後に衰えたが、江戸時代には亀山藩主から供田を寄せられた。
明治初年(1868年)、村社に列し、明治39年(1906年)、神饌幣帛料供進社に指定された。明治40年(1907年)8月20日、村内40社を合祀して現社号に改称、現在地に移転した。
旧地には現在、明治33年(1900年)8月に氏子によって建てられた「延喜式内天一鍬田神社」と刻まれた石の社標が現存する。
現社地は、八島川と寺川の合流点近く、庄内小学校の北。旧社地の下宮代の地は南条の西、矢島川沿い、現地のほぼ真南。
平成15年(2003年)、養蚕神社を合祀した。主祭神は伊邪那岐命で、下記の21柱を祀る。例祭は10月10日。7月には当社境内でこども夏祭りが行われる。
速玉之男命・神直比之神・御食津神・久久理比売神・須佐之男命・誉田和気命・伊邪那美命・大事忍男命・大直比之神・金山比古神・大山咋神・木花佐久夜比売命・大雀命・天照大神・八十禍津日神・大山祇命・火之加具土神・大名牟遅命・市杵島比売命・菅原道真
【ご利益】
厄災除け、夫婦和合、家内安全(公式HP)
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