平安初期の創建、五穀を司る神、50年ごとの造営、稲の自生の伝承
彌尼布理神社 三重県津市河芸町北黒田2250
[住所]三重県津市河芸町北黒田2250
[電話]059-372-0748

彌尼布理神社(みにふりじんじゃ/いねふりじんじゃ)は、三重県津市河芸町北黒田にある神社。伊勢鉄道線の伊勢上野駅の西約3キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「弥尼布理神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。通称は「いねふりさん」。

第51代平城天皇の御代、平安時代初期の大同元年(806年)6月、東海道観察使が伊勢国奄芸郡久留間荘黒田郷に一社を創建させたのが当社の起源。

その際、宇迦之魂を祀り、彌尼神社と称したという。五穀を司る神として、昔から近隣住民に崇敬され、創建以来、50年ごとに造営・祭礼が行われてきた。

鎌倉時代初期の文治(1185年-1190年)、建久(1190年-1199年)の頃、鎌倉幕府の御家人平賀朝雅が社領を寄進した。

鎌倉時代中期の康元元年(1256年)、近江より来た見雲五郎というものが奉祀、その後見振と称して代々禰宜となった。

室町時代の文明9年(1477年)、安土桃山時代の元亀3年(1572年)、天正16年(1568年)に造営の記録がある。元亀3年には、「稲振大明神」と称された。

文禄年間(1593年-1596年)、検地によって供田が没収されて、一時荒廃した。江戸時代になり、「稲降神一社、春日八幡一社、ひじりの宮一社の三社あり」とされた。

江戸時代前期の正保2年(1645年)、領主である藤堂高次が田地を寄進、社頭が修補され、ますます多くの信仰を集めたという。「稲振明神」と親しまれた。

明治12年(1879年)、社殿が造営された。これが現在の社殿で、桧造桧皮葺神明造。その際、瑞垣内に、早生・中生・晩生・もちの四種の稲が自生したと伝わる。

この自生した稲について、人々は神の瑞穂として大切にし、広く県内各地へも分配した、と記されている霊験記念碑が境内に立っている。

明治39年(1906年)12月、神饌幣帛料供進社に指定され、昭和7年(1932年)3月8日には郷社に昇格した。

主祭神は倉稲魂命。誉田別命大年命石凝姥命木花佐久夜姫命金山彦命迦具土命大山祇命菅原道真天之児屋根命を配祀する。例祭は10月10日。

【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、家内安全、厄災除け
彌尼布理神社 三重県津市河芸町北黒田
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