田井連らの祖の物部小事、正天神社、今は天之穗日命が主神
[住所]三重県津市大里睦合町1525
[電話]-
多為神社(たいじんじゃ/たゐじんじゃ)は、三重県津市大里睦合町にある神社。紀勢本線の一身田駅の北西約2キロ、紀勢本線の線路近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「多爲神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。創祀年代は不詳。
『先代旧事本紀』天孫本紀は、宇摩志麻治命の十二世孫に物部小事(もののべのおごと)がおり、志陀連、柴垣連、田井連らの祖とする。
当地に移住した田井連に連なる氏族が、祖神として宇摩志麻治命か、物部小事か、あるいは饒速日命を祀ったものと考えられている。
祖神を天神として祀った祠のため、「正天神社」と呼ばれた。江戸時代中期の享保年間(1716年-1736年)には天満宮八王子両社と呼ばれていた。
正天神社が天神社となり、天満宮になったようだ。ただしその後の、延享3年(1746年)、「正天神社」「正八王子社」と称され、二殿一棟に奉祀された。
この正天神社が式内社「多爲神社」の遺存とされた。明治になり、現社名に復した。明治40年(1907年)、稲荷社など17社を合祀した。
現在までに主祭神は天之穗日命。菅原道真を配祀する。物部系のニュアンスはなくなったようだ。
木花咲耶姫命・誉田別命・天津日子根命・熊野久須毘命・顕仁命・倉稲魂命・大年命・御年命・若年命・大日霊貴命・迦具土命・猿田彦命・大山祇命・天火明命・苗女霊命を合祀。
顕仁命は顕仁親王である第75代崇徳天皇か。祀られる資格は十分の天皇であるが、顕仁命として祀られるのは珍しい。また、苗女霊命は不詳。
例祭は10月10日。氏子地域は、津市大里東睦合町・大里西睦合町・大里小野田町・大里川北町。
なお、美濃国賀茂郡にも同名の式内社があり、岐阜県関市の当社と同名の神社に比定されているが、こちらは特段、創祀の事情としても、物部氏との関わりは見えない。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、病気平癒、学業・受験合格
【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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多為神社(たいじんじゃ/たゐじんじゃ)は、三重県津市大里睦合町にある神社。紀勢本線の一身田駅の北西約2キロ、紀勢本線の線路近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「多爲神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。創祀年代は不詳。
『先代旧事本紀』天孫本紀は、宇摩志麻治命の十二世孫に物部小事(もののべのおごと)がおり、志陀連、柴垣連、田井連らの祖とする。
当地に移住した田井連に連なる氏族が、祖神として宇摩志麻治命か、物部小事か、あるいは饒速日命を祀ったものと考えられている。
祖神を天神として祀った祠のため、「正天神社」と呼ばれた。江戸時代中期の享保年間(1716年-1736年)には天満宮八王子両社と呼ばれていた。
正天神社が天神社となり、天満宮になったようだ。ただしその後の、延享3年(1746年)、「正天神社」「正八王子社」と称され、二殿一棟に奉祀された。
この正天神社が式内社「多爲神社」の遺存とされた。明治になり、現社名に復した。明治40年(1907年)、稲荷社など17社を合祀した。
現在までに主祭神は天之穗日命。菅原道真を配祀する。物部系のニュアンスはなくなったようだ。
木花咲耶姫命・誉田別命・天津日子根命・熊野久須毘命・顕仁命・倉稲魂命・大年命・御年命・若年命・大日霊貴命・迦具土命・猿田彦命・大山祇命・天火明命・苗女霊命を合祀。
顕仁命は顕仁親王である第75代崇徳天皇か。祀られる資格は十分の天皇であるが、顕仁命として祀られるのは珍しい。また、苗女霊命は不詳。
例祭は10月10日。氏子地域は、津市大里東睦合町・大里西睦合町・大里小野田町・大里川北町。
なお、美濃国賀茂郡にも同名の式内社があり、岐阜県関市の当社と同名の神社に比定されているが、こちらは特段、創祀の事情としても、物部氏との関わりは見えない。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、病気平癒、学業・受験合格
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