創祀年代や由緒不詳、もとは八王子祠とも、旧別当は横知山圓照寺
[住所]三重県鈴鹿市徳田町2107
[電話]059-372-0748
横道下神社(よこみちしたじんじゃ)は、三重県鈴鹿市徳田町にある神社。中之川北岸、伊勢鉄道線の徳田駅の東すぐ近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「横道下神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。由緒もよく分からない。式内社名は、横道下神社(よこみちおりじんじゃ)と読ませる、とも。
御巫清直『伊勢式内神社検録』は「越知村の産神春日神社」を式内比定している。ただ、この春日神社は、正覚寺の境内にあるようにも思われるが、不詳である。
江戸時代、社域の中の南北に二社あり、北は御祭神を牛頭天王とした産神で、南は俗に八王子祠といい、この八王子祠が当社のことだという。
もとは別当寺として横知山圓照寺があり、当社に関する旧記も保存されていたが、おそらく明治期に廃絶し、当社の古記録も散逸したという。
なお、この別当寺にちなむものか、当社付近には横知という地名がある。当社はもしかすると、横知下神社と呼ばれていた可能性がある。
当然、当社の式内社名の「横道」がいずれのかの時期に「横知」となって定着した可能性、あるいは当社式内社名とは全く無関係、という可能性もある。
明治40年(1907年)、旧徳田村の八雲神社以下二社を合祀、さらに大正5年(1916年)には八雲神社の境内社である山神社を合祀した。
大正6年(1917年)4月、同じ旧徳田村内だが、字八反坪より字初田に社地を移転、現在に至る。
主祭神は天忍穂耳命とし、他の五男三女神を合祀神に含めているが、八王子祠だったのであれば、これら五男三女神が主神だったように思える。
天忍穂耳命以外の五男三女神は、天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野久須毘命と、多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命の宗像三女神。
その他の合祀神として、天照大神・須佐之男命・品陀和気命・伊弉冉命・櫛稲田姫命・大山祇命・豊磐間戸命・櫛磐間戸命・木花開邪姫命を祀る。
氏子地域は徳田町・横知・畑地区。例祭は10月15日で秋季例大祭。
【ご利益】
地域安全、家内安全、安産

【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
[電話]059-372-0748
横道下神社(よこみちしたじんじゃ)は、三重県鈴鹿市徳田町にある神社。中之川北岸、伊勢鉄道線の徳田駅の東すぐ近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「横道下神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。由緒もよく分からない。式内社名は、横道下神社(よこみちおりじんじゃ)と読ませる、とも。
御巫清直『伊勢式内神社検録』は「越知村の産神春日神社」を式内比定している。ただ、この春日神社は、正覚寺の境内にあるようにも思われるが、不詳である。
江戸時代、社域の中の南北に二社あり、北は御祭神を牛頭天王とした産神で、南は俗に八王子祠といい、この八王子祠が当社のことだという。
もとは別当寺として横知山圓照寺があり、当社に関する旧記も保存されていたが、おそらく明治期に廃絶し、当社の古記録も散逸したという。
なお、この別当寺にちなむものか、当社付近には横知という地名がある。当社はもしかすると、横知下神社と呼ばれていた可能性がある。
当然、当社の式内社名の「横道」がいずれのかの時期に「横知」となって定着した可能性、あるいは当社式内社名とは全く無関係、という可能性もある。
明治40年(1907年)、旧徳田村の八雲神社以下二社を合祀、さらに大正5年(1916年)には八雲神社の境内社である山神社を合祀した。
大正6年(1917年)4月、同じ旧徳田村内だが、字八反坪より字初田に社地を移転、現在に至る。
主祭神は天忍穂耳命とし、他の五男三女神を合祀神に含めているが、八王子祠だったのであれば、これら五男三女神が主神だったように思える。
天忍穂耳命以外の五男三女神は、天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野久須毘命と、多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命の宗像三女神。
その他の合祀神として、天照大神・須佐之男命・品陀和気命・伊弉冉命・櫛稲田姫命・大山祇命・豊磐間戸命・櫛磐間戸命・木花開邪姫命を祀る。
氏子地域は徳田町・横知・畑地区。例祭は10月15日で秋季例大祭。
【ご利益】
地域安全、家内安全、安産

【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
コメント