景行朝の勧請、高波と洪水で二度の遷座、藤堂高次ゆかり鶴宮を合祀
[住所]三重県津市上浜町5-65-1
[電話]059-225-0508
小丹神社(おにのじんじゃ)は、三重県津市上浜町にある神社。紀勢本線・近鉄名古屋線の津駅の北約800メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「小丹神社(伊勢国・安濃郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。社伝によれば、第12代景行天皇の御代に勧請して創立された。
往古は安濃郡小丹郷に鎮座した。室町時代の明応7年(1498年)、地震による高波のため、郷民とともに小丹塩屋に移った。移る数日間で小丹郷と社地は陥没して海と化したという。
江戸時代前期の慶安3年(1650年)、大洪水があり、上浜西の山、つまり現在地に遷座した。明治6年(1873年)3月、村社に列した。
主祭神は埴夜須毘売命・須佐之男命。一部に、須佐之男命ではなく、大山祇神を主祭神とする。配祀神は、大山祇神(あるいは須佐之男命)・誉田別命・月夜見命。
例祭は7月11日が夏大祭、10月11日が秋祭。氏子地域は、上浜町、江戸橋町、栄町4丁目の旧余慶町一円、栄町1丁目の旧茶屋町一円、桜橋2丁目、仝3丁目の南北旧松本崎一円、大谷町など。
境内社に、宮山稲荷大明神・鶴宮(鶴神社)などがある。鶴宮に向かう参道には、鶴宮と刻された江戸時代中期の宝永5年(1709年)銘がある常夜燈がある。
鶴宮は、寛永年間(1624年-1645年)、藩主二世祖の藤堂高次がたまたま鶴を射止めたことをめでたいことの前兆であるとし、高次が社殿を建立したのが始まり。
明治40年(1907年)、当社が合祀し、社殿は当社に移し、その跡に碑を建てた。碑は現地である上浜町1丁目の公園に現存する。
【ご利益】
厄災除け、産業振興、事業成功、家内安全
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小丹神社(おにのじんじゃ)は、三重県津市上浜町にある神社。紀勢本線・近鉄名古屋線の津駅の北約800メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「小丹神社(伊勢国・安濃郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。社伝によれば、第12代景行天皇の御代に勧請して創立された。
往古は安濃郡小丹郷に鎮座した。室町時代の明応7年(1498年)、地震による高波のため、郷民とともに小丹塩屋に移った。移る数日間で小丹郷と社地は陥没して海と化したという。
江戸時代前期の慶安3年(1650年)、大洪水があり、上浜西の山、つまり現在地に遷座した。明治6年(1873年)3月、村社に列した。
主祭神は埴夜須毘売命・須佐之男命。一部に、須佐之男命ではなく、大山祇神を主祭神とする。配祀神は、大山祇神(あるいは須佐之男命)・誉田別命・月夜見命。
例祭は7月11日が夏大祭、10月11日が秋祭。氏子地域は、上浜町、江戸橋町、栄町4丁目の旧余慶町一円、栄町1丁目の旧茶屋町一円、桜橋2丁目、仝3丁目の南北旧松本崎一円、大谷町など。
境内社に、宮山稲荷大明神・鶴宮(鶴神社)などがある。鶴宮に向かう参道には、鶴宮と刻された江戸時代中期の宝永5年(1709年)銘がある常夜燈がある。
鶴宮は、寛永年間(1624年-1645年)、藩主二世祖の藤堂高次がたまたま鶴を射止めたことをめでたいことの前兆であるとし、高次が社殿を建立したのが始まり。
明治40年(1907年)、当社が合祀し、社殿は当社に移し、その跡に碑を建てた。碑は現地である上浜町1丁目の公園に現存する。
【ご利益】
厄災除け、産業振興、事業成功、家内安全
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