菰野藩主が子の全快で勧請した正八幡宮、江田社などを合祀
[住所]三重県三重郡菰野町蔬野2752
[電話]059-393-2501

廣幡神社(ひろはたじんじゃ、広幡神社)は、三重県三重郡菰野町蔬野にある神社。近代社格では郷社。近鉄湯の山線の中菰野駅の南1キロ弱。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建は江戸時代前期の寛永7年(1630年)8月15日。菰野藩主土方丹後守雄氏が石清水八幡宮を勧請し、以来、菰野城の南にあって、同家の鎮守社となった。

この勧請と創建は、雄氏の子の雄高が疱瘡を患った時に八幡大明神の助けによって全快したことの報恩だとされる。往時は正八幡宮と称し、通称は、今でも「八幡さん」。

明治3年(1870年)10月には藩庁及管内鎮護の社となった。明治4年(1871年)10月23日、菰野県庁の命により、諏訪神社を正八幡宮に合祀した。

この諏訪神社の合祀に伴い、現社号に改称した。この諏訪神社は、菰野郷ができたころ創立という古い社で、村中里民の産土神として崇敬された。

諏訪神社は、安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)、土方家とその藩士の産土神となり、江戸時代初期の慶長13年(1608年)3月、南山に奉遷されていた。

諏訪神社の奉遷は、領主雄高の命によるものとされる。八幡大明神の助けによって疱瘡が全快した雄高は当社を崇敬し、諏訪社をやや遠めた、ということなのかもしれない。

明治6年(1873年)、郷社に列し、明治40年(1907年)から順次村内全部の倭文神社、菰野神社、平岡神社、日吉神社、江田神社、須賀神社、豊岡御厨神社、春日神社を合祀。

この中の江田神社が、『延喜式神名帳』にある「江田神社(伊勢国・三重郡)」に比定される式内社(小社)の論社である。

式内社「江田神社」の論社は他に、いずれも四日市市で、市内西坂部町の式内同名神社、鵜の森の鵜森神社がある。

当社の主祭神は誉田天皇建御名方命事志呂主命というおそらく諏訪神社の御祭神を配祀する。合祀神は以下の通り。

軻遇突智命・建葉槌命・大日孁神蒼稲魂神市杵島姫命大山祇命建速須佐之男命倭比売命伊波比主命建御雷之男命天児屋根命・比売神・菅原道真・中山祇命・奥山祇命羽山津見八衢彦命・八衢姫命・万幡豊秋津師比売命大市比売命五十猛神・大屋津比売命・抓津姫命・八十神大穴名牟遅神大山咋命・土方雄永

例祭は春季例大祭が4月15日頃、秋季例大祭が10月1日-3日で、神輿の渡御、山車練り、舞楽奉納、相撲大会など多くの催事が行われる。

【ご利益】
病気平癒、厄災除け、方除け
広幡神社 三重県三重郡菰野町蔬野
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広幡神社 三重県三重郡菰野町蔬野の御朱印