本田忠勝に祥瑞、矢田八幡とも呼ばれた桑名八幡、式内論社
[住所]三重県桑名市新矢田2-24
[電話]0594-22-1224
立坂神社(たちさかじんじゃ)は、三重県桑名市新矢田にある神社。近鉄名古屋線の益生駅の北東約750メートル。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「立坂神社(伊勢国・桑名郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
創祀年代は不詳。安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)、本多忠勝が矢田河原に軍を進めた際、その旗印に霊鳩が止まった。
忠勝は得難い祥瑞と考え、その後の戦いで勝利し、帰陣後、周辺住民に「当地に八幡はあるか?」と尋ねた。鳩は八幡神の神使。
当地の人は「西方にあり」と答えたという。後日、その地に改めて山城国石清水八幡宮を勧請、桑名八幡宮と称した。
この桑名八幡宮の創建は江戸時代初期の元和元年(1615年)とされる。その後、矢田八幡宮と改称され、当社は長らく矢田八幡宮と呼ばれた。
忠勝以前にあった八幡は、往時、現在地の西方にあったという。現在地に移されたのは、第40代天武天皇の行宮跡だったため、とされている。
江戸時代中期の宝永8年(1711年)、時の領主松平定重が越後高田へ移封の後、定重が当社を崇敬していたため、新天地に当社の神符を頒布し、これをまた崇敬した。
旧藩主の崇敬は多度大社・桑名神社と同一だとされ、たびたび造営・修補が行われたという。維新以前は鷹司家の崇敬厚く、紋所の幕などの寄付があった。
幕末の嘉永6年(1853年)、有楢川熾仁親王の筆になる「立坂神社」の額が奉納された。この頃までには式内社「立坂神社」を主張していたことになる。
明治2年(1869年)3月、明治天皇が東幸の際、同月15日には当地に駐輦、即日、当社へ奉幣使を遣わした。
明治17年(1884年)5月、県社に列し、明治39年(1906年)12月15日、神饌幣帛料供進社に指定された。
戦災を免れ、現在の境内も、昔の風情を残している。門前から約250メートル離れた東海道筋に石造鳥居があり、往時の強盛が分かる。
明治になり、現社号に復したと思われるし、現在もこれが正式名称だが、現在「八幡さん」で親しまれており、当社御朱印には「桑名八幡」の文字がある。
御祭神は、主祭神が大日霊貴尊。武甕槌神・斎主神・天児屋根命・姫大神・木花咲夜比売神・大山津見神・天目一箇神・神功皇后・応神天皇・玉依姫を配祀する。
例祭は10月19日。7月第1日曜日に当地で行われる桑名石取祭にも参加する。境内社に、子安稲荷神社・八天宮・菅原神社・御霊舎がある。
短刀「村正」を所蔵する。室町後期の作で、長さ30.4センチ、反り0.4センチ。有形文化財工芸品に指定されている。
なお、式内社「立坂神社」の論社は他に、市内東方西馬様の尾野神社の境内社に当社および式内同名神社があり、その旧地が市内東方にあって、石碑が残る。
【ご利益】
開運招福、武運長久・勝運、学業・受験合格

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[電話]0594-22-1224
立坂神社(たちさかじんじゃ)は、三重県桑名市新矢田にある神社。近鉄名古屋線の益生駅の北東約750メートル。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「立坂神社(伊勢国・桑名郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
創祀年代は不詳。安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)、本多忠勝が矢田河原に軍を進めた際、その旗印に霊鳩が止まった。
忠勝は得難い祥瑞と考え、その後の戦いで勝利し、帰陣後、周辺住民に「当地に八幡はあるか?」と尋ねた。鳩は八幡神の神使。
当地の人は「西方にあり」と答えたという。後日、その地に改めて山城国石清水八幡宮を勧請、桑名八幡宮と称した。
この桑名八幡宮の創建は江戸時代初期の元和元年(1615年)とされる。その後、矢田八幡宮と改称され、当社は長らく矢田八幡宮と呼ばれた。
忠勝以前にあった八幡は、往時、現在地の西方にあったという。現在地に移されたのは、第40代天武天皇の行宮跡だったため、とされている。
江戸時代中期の宝永8年(1711年)、時の領主松平定重が越後高田へ移封の後、定重が当社を崇敬していたため、新天地に当社の神符を頒布し、これをまた崇敬した。
旧藩主の崇敬は多度大社・桑名神社と同一だとされ、たびたび造営・修補が行われたという。維新以前は鷹司家の崇敬厚く、紋所の幕などの寄付があった。
幕末の嘉永6年(1853年)、有楢川熾仁親王の筆になる「立坂神社」の額が奉納された。この頃までには式内社「立坂神社」を主張していたことになる。
明治2年(1869年)3月、明治天皇が東幸の際、同月15日には当地に駐輦、即日、当社へ奉幣使を遣わした。
明治17年(1884年)5月、県社に列し、明治39年(1906年)12月15日、神饌幣帛料供進社に指定された。
戦災を免れ、現在の境内も、昔の風情を残している。門前から約250メートル離れた東海道筋に石造鳥居があり、往時の強盛が分かる。
明治になり、現社号に復したと思われるし、現在もこれが正式名称だが、現在「八幡さん」で親しまれており、当社御朱印には「桑名八幡」の文字がある。
御祭神は、主祭神が大日霊貴尊。武甕槌神・斎主神・天児屋根命・姫大神・木花咲夜比売神・大山津見神・天目一箇神・神功皇后・応神天皇・玉依姫を配祀する。
例祭は10月19日。7月第1日曜日に当地で行われる桑名石取祭にも参加する。境内社に、子安稲荷神社・八天宮・菅原神社・御霊舎がある。
短刀「村正」を所蔵する。室町後期の作で、長さ30.4センチ、反り0.4センチ。有形文化財工芸品に指定されている。
なお、式内社「立坂神社」の論社は他に、市内東方西馬様の尾野神社の境内社に当社および式内同名神社があり、その旧地が市内東方にあって、石碑が残る。
【ご利益】
開運招福、武運長久・勝運、学業・受験合格

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