奈良期に土宮、土の神を勧請、御供糀を豊受宮に奉献、江戸期棟札
[住所]三重県鈴鹿市東玉垣町1412
[電話]059-382-6463

彌都加伎神社(みずがきじんじゃ)は、三重県鈴鹿市東玉垣町にある神社。伊勢鉄道線の玉垣駅の北東約2.5キロ。伊勢街道がすぐ西を走る。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「弥都加伎神社(伊勢国・河曲郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

奈良時代の天平13年(741年)の創祀と伝える。土を司る神である大土御祖神を海部村に勧請したのが起源。

山田原の御霊を勧請したと伝わるので、勧請元は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の別宮である土宮と思われる。

後に、村の中の清浄で、村人などの集まりやすい中心場所である現在地に遷座し、村名を瑞籬村と称して奉斎した。

宝亀元年(770年)、井上新王、おそらくは井上内親王の霊夢により、御厨より、御供糀を豊受宮に奉献することとなり、土之御祖神・埴安比売神を合祀した。

土宮、あるいは土御前(はじのみやしろ)と呼ばれ、陶器、佐官、粘土、土木工事、各業の外農民はもとより、土に携わる職業の者の崇敬を集めた。

また、豊受宮の糀の奉献により、酒、みそなどの職業の者にも崇敬された。平安時代の延喜5年(905年)、現社名に改称した。

江戸時代初期の慶長19年(1614年)から江戸時代中期の安永9年(1780年)の間の166年間、10回の修繕、御造営の事実を伝える棟札がある。

明治2年(1869年)3月、明治天皇の東幸の途次、亀井茲監を勅使として代拝、奉弊に預かった。明治6年(1873年)3月、村社に列し、明治39年(1906年)には神饌幣帛料供進社に指定された。

明治41年(1908年)、村内無格社を合祀したが、昭和4年(1929年)には合祀した須賀、宇気比、胸形、熊野、八幡、深田、吉田の7社を復社した。

氏子区域は旧玉垣村全体で、現在の東玉垣・西玉垣・南玉垣・北玉垣の4ヶ町と、桜島町・末広町である。

現在、主祭神が大土御祖神。埴安比売神・素盞嗚尊を配祀し、大山祇命菅原道真を合祀する。

また、天忍穗耳命天津日子根命熊野久須毘命多紀理比売命・奧津島比売命・市寸島比売命・狹依比売命・事比羅神・速玉之男命・品陀和気命大日霊命を併せて祀る。

例祭は10月第2日曜日で例大祭、秋祭。5月3日が春祭。お田植え祭も行われる。味噌汁を作るのが苦手な人に御利益があるともされる。

【ご利益】
事業成功、産業振興、五穀豊穣、商売繁盛(公式HP
彌都加伎神社 三重県鈴鹿市東玉垣町
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彌都加伎神社 三重県鈴鹿市東玉垣町の御朱印