信長の乱で焼失、その後祟り、現在地に遷座へ、獅子頭
[住所]三重県津市大里窪田町1501
[電話]-
石積神社(いしづみじんじゃ)は、三重県津市大里窪田町にある神社。紀勢本線の一身田駅の北西約1.5キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「石積神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。式内社「石積神社」の論社は他に、市内河辺町の当社と同字異音の神社がある。安土桃山時代、織田信長の乱に際して、兵火に罹り、当社は焼失した。
その際、御神霊は伊勢の神宮(伊勢神宮)に遷そうとしたが、山田地方が大いに荒れて、天災が頻発した。
そこで、神官が神宣を伺うと、神宣があって、これは石積の神の崇りで、鈴鹿山の山続きの尾前、その南の溜池の北にある里で奉斎せよ、と出た。
そこで、神官は従者などに命じて、神輿を奉じて、窪田階下の現在地に遷座したという。以来、その霊験のあらたかさに、里人は崇敬の念を募らせたという。
主祭神は大山祇神。大日霊貴命・経津主命・活津日子根命・天津日子根命・誉田別命を合祀する。例祭は10月10日で秋季例祭。
特殊神事として、3年ごとの正月2日より5日より獅子舞が奉納される。窪田獅子舞と呼ばれ、継承されてきたが、大正年間(1912年-1926年)、舞い手がなく、断絶。
一身田中野獅子舞の技術を習得して昭和24年(1949年)、復活した。使用されていた獅子頭は市の有形文化財に指定されている。
木造塗漆で、付けたりとして、麻製包布・格納箱がある。その麻製包布2枚のうちの1枚に、江戸時代前期の万治3年(1660年)の墨書銘がある。
また、格納箱の裏書によって、この獅子頭は現在の一身田小学校校庭にあった一宮大神宮・春日大明神のものであったことがわかる。
この獅子頭は、正面幅34センチ、高さ27.3センチ、奥行36.5センチ、全体にやや小型で、奥行か小さく、丸味を感じさせるなど古様の型を残している。
右側後端には把手があり、舞い手は右手でこれを持ち、左手で下顎を使い獅子頭を操るようになっている。この獅子舞頭は、昭和60年(1985年)まで使用されていた。
【ご利益】
家内安全、地域安全、無病息災、開運招福

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・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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石積神社(いしづみじんじゃ)は、三重県津市大里窪田町にある神社。紀勢本線の一身田駅の北西約1.5キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「石積神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。式内社「石積神社」の論社は他に、市内河辺町の当社と同字異音の神社がある。安土桃山時代、織田信長の乱に際して、兵火に罹り、当社は焼失した。
その際、御神霊は伊勢の神宮(伊勢神宮)に遷そうとしたが、山田地方が大いに荒れて、天災が頻発した。
そこで、神官が神宣を伺うと、神宣があって、これは石積の神の崇りで、鈴鹿山の山続きの尾前、その南の溜池の北にある里で奉斎せよ、と出た。
そこで、神官は従者などに命じて、神輿を奉じて、窪田階下の現在地に遷座したという。以来、その霊験のあらたかさに、里人は崇敬の念を募らせたという。
主祭神は大山祇神。大日霊貴命・経津主命・活津日子根命・天津日子根命・誉田別命を合祀する。例祭は10月10日で秋季例祭。
特殊神事として、3年ごとの正月2日より5日より獅子舞が奉納される。窪田獅子舞と呼ばれ、継承されてきたが、大正年間(1912年-1926年)、舞い手がなく、断絶。
一身田中野獅子舞の技術を習得して昭和24年(1949年)、復活した。使用されていた獅子頭は市の有形文化財に指定されている。
木造塗漆で、付けたりとして、麻製包布・格納箱がある。その麻製包布2枚のうちの1枚に、江戸時代前期の万治3年(1660年)の墨書銘がある。
また、格納箱の裏書によって、この獅子頭は現在の一身田小学校校庭にあった一宮大神宮・春日大明神のものであったことがわかる。
この獅子頭は、正面幅34センチ、高さ27.3センチ、奥行36.5センチ、全体にやや小型で、奥行か小さく、丸味を感じさせるなど古様の型を残している。
右側後端には把手があり、舞い手は右手でこれを持ち、左手で下顎を使い獅子頭を操るようになっている。この獅子舞頭は、昭和60年(1985年)まで使用されていた。
【ご利益】
家内安全、地域安全、無病息災、開運招福

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