垂仁朝に勅命で奉斎「土御前」、平安末期の獅子頭、伝統の獅子舞
[住所]三重県津市河芸町東千里759
[電話]-
尾前神社(おさきじんじゃ)は、三重県津市河芸町東千里にある神社。伊勢湾の近く、近鉄名古屋線の千里駅の北東約850メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「尾前神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。御祭神は、祓所の霊神、速佐須良比売命。
創祀年代は不詳。第11代垂仁天皇18年、勅命によって今の千里ケ丘中尾前の地に神殿が建てられた。それには下記の伝承が伝わる。
『倭姫命世記』にも描かれた、皇女倭姫命が天照皇大神の神託を奉じて南下の途次、天閾(みかど)に尾前の地に一社を鎮座すべきことを上奏した。
これにより垂仁天皇は勅を伊勢国司の大若子命に下し、神殿を建て、天村雲命の苗裔である博多の岩立命に命じ、奉幣使としてこれを奉斎した。
飛鳥時代になり、第40代天武天皇より「尾前土宮」の宮号を賜り、一名を「土御前」と号した。
平安時代末期の第80代高倉天皇の御代、朝廷から獅子頭二口が献じられたものと伝えられ、当社の宝物となっている。これが現在に伝わる獅子舞神楽の起源。
鎌倉時代初期、第82代後鳥羽天皇の御宇には、「奄藝祓所」の称号を受けた。鎌倉時代後期、里人とともに現在地に移ったとされる。
里人はもちろん、武家や領主からの崇敬も篤く、上野城主より社領として5石を受領したという。
明治維新に際し、明治天皇が神宮親拝の帰途、勅使に代参を命じたという。明治6年(1873年)3月、村社に列し、明治39年(1906年)12月25日、神饌幣帛料供進社に指定された。
主祭神は速佐須良比咩神だが、移設として、『考証』では五十功彦命、『再考』では鷸山祇、『古谷草子』では天鈿女命としている。
現在までに、塩椎神・大山津見神・品陀和気神を配祀している。例祭は10月10日。当社には上述のように、獅子舞神楽が伝わる。市の無形民俗文化財。
承安3年(1173年)、伊勢国内に疫病、妖魅(ようみ)が盛んになり、国中が不穏となったため、当社に獅子頭二口が奉納された。
これにより国中の悪鬼邪鬼を祓うために行われた御獅子祈祷によって、国中の悪疫病魔はすぐに終息したと伝わる。
獅子には、牡頭(おかしら)と牝頭(めかしら)がある。それぞれの獅子のお頭、後舞、口取が3人1組になり、笛、太鼓にあわせて舞う。
舞は9種類あって、すべてで約3時間かかる。本場の舞はすべて舞うため、広い場所で行われた。南ぜこは正法寺の境内、北ぜこは信光寺の境内など。
1の舞 四方掛
2の舞 尾前舞
3の舞 飛の尾
4の舞 起こし舞
5の舞 扇の舞
6の舞 花起こし
7の舞 花の舞
8の舞 寝舞
9の舞 舞あげ
本場の舞の他に、門舞(かどまい)がある。これは本場の舞を簡単にしたもので、申し出のあった家の玄関前で舞う。近在へ神楽祈願の「舞い行脚」も行われた。
現在は、4年に一度を舞い年と決め、東千里地区の氏子の中から選ばれた20人あまりが、1月1日から3日まで、氏子の家を訪ね家内安全・五穀豊穣の門舞いを行う。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、悪疫退散

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尾前神社(おさきじんじゃ)は、三重県津市河芸町東千里にある神社。伊勢湾の近く、近鉄名古屋線の千里駅の北東約850メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「尾前神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。御祭神は、祓所の霊神、速佐須良比売命。
創祀年代は不詳。第11代垂仁天皇18年、勅命によって今の千里ケ丘中尾前の地に神殿が建てられた。それには下記の伝承が伝わる。
『倭姫命世記』にも描かれた、皇女倭姫命が天照皇大神の神託を奉じて南下の途次、天閾(みかど)に尾前の地に一社を鎮座すべきことを上奏した。
これにより垂仁天皇は勅を伊勢国司の大若子命に下し、神殿を建て、天村雲命の苗裔である博多の岩立命に命じ、奉幣使としてこれを奉斎した。
飛鳥時代になり、第40代天武天皇より「尾前土宮」の宮号を賜り、一名を「土御前」と号した。
平安時代末期の第80代高倉天皇の御代、朝廷から獅子頭二口が献じられたものと伝えられ、当社の宝物となっている。これが現在に伝わる獅子舞神楽の起源。
鎌倉時代初期、第82代後鳥羽天皇の御宇には、「奄藝祓所」の称号を受けた。鎌倉時代後期、里人とともに現在地に移ったとされる。
里人はもちろん、武家や領主からの崇敬も篤く、上野城主より社領として5石を受領したという。
明治維新に際し、明治天皇が神宮親拝の帰途、勅使に代参を命じたという。明治6年(1873年)3月、村社に列し、明治39年(1906年)12月25日、神饌幣帛料供進社に指定された。
主祭神は速佐須良比咩神だが、移設として、『考証』では五十功彦命、『再考』では鷸山祇、『古谷草子』では天鈿女命としている。
現在までに、塩椎神・大山津見神・品陀和気神を配祀している。例祭は10月10日。当社には上述のように、獅子舞神楽が伝わる。市の無形民俗文化財。
承安3年(1173年)、伊勢国内に疫病、妖魅(ようみ)が盛んになり、国中が不穏となったため、当社に獅子頭二口が奉納された。
これにより国中の悪鬼邪鬼を祓うために行われた御獅子祈祷によって、国中の悪疫病魔はすぐに終息したと伝わる。
獅子には、牡頭(おかしら)と牝頭(めかしら)がある。それぞれの獅子のお頭、後舞、口取が3人1組になり、笛、太鼓にあわせて舞う。
舞は9種類あって、すべてで約3時間かかる。本場の舞はすべて舞うため、広い場所で行われた。南ぜこは正法寺の境内、北ぜこは信光寺の境内など。
1の舞 四方掛
2の舞 尾前舞
3の舞 飛の尾
4の舞 起こし舞
5の舞 扇の舞
6の舞 花起こし
7の舞 花の舞
8の舞 寝舞
9の舞 舞あげ
本場の舞の他に、門舞(かどまい)がある。これは本場の舞を簡単にしたもので、申し出のあった家の玄関前で舞う。近在へ神楽祈願の「舞い行脚」も行われた。
現在は、4年に一度を舞い年と決め、東千里地区の氏子の中から選ばれた20人あまりが、1月1日から3日まで、氏子の家を訪ね家内安全・五穀豊穣の門舞いを行う。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、悪疫退散

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