もとはヒサツ畑、草生城築城で遷座、鎮護の草生天神、3月天神祭
比佐豆知菅原神社 三重県津市安濃町草生2419
[住所]三重県津市安濃町草生2419
[電話]059-268-0140

比佐豆知菅原神社(ひさづちすがはらじんじゃ)は、三重県津市安濃町草生にある神社。津駅の北西約11キロ。御朱印の有無は不明。

経ヶ峰への登山口付近に鎮座する。『延喜式神名帳』にある「比佐豆知神社(伊勢国・安濃郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。創祀年代は不詳。

もとは在地より2キロほど北西のヒサツ畑に鎮座していたが、戦国時代、中伊勢の国人領主工藤長野氏の一族草生氏の草生越前守が草生城(くさわじょう)を築城。

おそらく城の守護神とするために、草生越前守が城至近の、鳴瀧広垣内の現在地に遷座した。草生越前守は当社を崇敬、その際は「草生天神」とも呼ばれたという。

ただし、当社が天神を勧請したのは、江戸時代になってからともされている。いわゆる菅原道真の天神ではなくても、天神と呼ばれることは珍しくはないが。

草生越前守が築城した草生城は、永禄年間(1558年-1570年)、織田信長に攻め落とされ、廃城となった。その子孫は藤堂家に仕えたという。

江戸時代前期の元禄15年(1702年)、遷宮の際、北野天神を併祭した。この時期から、現社名に現れる菅原神社、つまり道真を奉斎したことは確実。

この際、当時の村吏であった草生庄八夫妻によって、菅家文草一部及び天神像一体が奉納されている。

雨乞踊唄に「先ず久土の御神は」といい、「また久土の御宮中は」などと唱えており、「久土」と書いて「ひさづち」と読ませていたことが分かっている。

このあたりが式内比定根拠となっているようで、『伊勢式内社検録』には下記の通りある。
安濃郡比佐豆知神社ハ津ヨリ西ヘ三里半草生村天神トイフ処ニアリ。比佐豆知天神、大自在天神同殿ニ祀ル
式内社「比佐豆知神社」の論社は他に、市内鳥居町の式内同名神社がある。また、伊勢国には奄芸郡にも同名の式内社があり、鈴鹿市寺家町の式内同名神社に比定されている。

主祭神は現在、菅原道真。豊辺津比売命・誉田別命を配祀する。豊辺津比売命は不詳だが、豊受大神か、辺津宮の田寸津比売命(あるいは市杵島姫神)か。

大山咋命木花開邪姫命大山祇命須佐之男命表筒男命中筒男命底筒男命軻遇突智命天児屋根命伊弉冉命伊弉諾命大日孁貴命五男三女神を合祀。

道真が愛でたという梅の花が咲き誇る3月25日には、天神祭が行われる。当日は、当社へと続く参道に出店がずらりと並び、多数の参拝客で賑わう。

赤いはかまがあでやかな薄化粧の巫女たちによる舞が奉納され、詩吟や少年剣士たちによる剣道の奉納試合が行われる。

【ご利益】
学業・受験合格、病気平癒、身体壮健
比佐豆知菅原神社 三重県津市安濃町草生
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