聖武朝に隣接の子安観音寺とともに創祀、木立明神・富士権現
[住所]三重県鈴鹿市寺家町3-2-20
[電話]059-386-6871

比佐豆知神社(ひさずちじんじゃ)は、三重県鈴鹿市寺家町にある神社。近鉄名古屋線の鼓ヶ浦駅の南西350メートル、子安観音寺に隣接。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「比佐豆知神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。伊勢湾の鼓ヶ浦の海、海沿いに流れる堀切川の近く。

社伝によれば、第45代聖武天皇の御宇、奈良時代の天平勝宝年間(749年-757年)、白子山子安観音寺と神域をともにして創建されたという。

往昔、当社を含め東面して北より、秋葉金毘羅宮・富士権現・天神宮・熊野権現・神明宮の六宇が鎮座し、木立明神あるいは富士権現と称したという。

聖武天皇の御願所とも、藤原不比等が社殿を建立とも伝わる。当地の不断桜が第48代称徳天皇に聞こえ、勅により大内の南庭に植えられたが、一夜のうちに枯木になったとも。

この不断桜は当社境内に現存する。室町時代の著名な連歌師である宗祇(そうぎ)の句に下記があり、子安観音寺とともに、当社の古さ、由緒の確かさを伝えているという。
冬咲くは かみよもきかぬ 桜かな
『伊勢式社案内記』『伊勢国式内社宮地記』には木立明神とあり、『布留屋艸祇』『神風徴古録』『背書国誌』には富士権現・不盡権現とある。木舘大明神とも。

子安観音寺の地主神として 崇敬されてきた、とも。江戸時代中期の亨保15年(1730年)3月5日、延享2年(1745年)2月15日の棟札2枚が宝物として現存する。

明治2年(1869年)、式内社に認定された。明治41年(1908年)、同地の村社熊野神社などを合祀した。大正3年(1914年)2月、村社に列し、神饌幣帛料供進社に指定された。

御祭神は木立明神からか、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命。他に、少彦名命天照大神伊弉冉尊誉田別尊天児屋命・速玉男命・事解男命を併せて祀る。

例祭は4月第2土・日曜日。子安観音寺を中心に、当社でも獅子舞が奉納される。寺家地区の春祭りである。

一ノ宮地区から伝承されたとされる獅子舞は、親獅子、子獅子、孫獅子の計6頭の獅子が、五穀豊穣を願う「起し舞」など12種類を舞う。

子供たちは、地域の特色を生かし、伊勢型紙で染めた鶴、亀、松などが並ぶ「宝づくし模様」の生地で作った手作り衣装をまとう。

なお、当社は奄芸郡の式内社「比佐豆知神社」でほぼ間違いないと思われるが、時に津市芸濃町楠原の明神社が論社とされる場合がある。

伊勢国には安濃郡にも同名の式内社があり、津市の鳥居町の当社および式内同名神社、安濃町の比佐豆知菅原神社が論社になっている。

【ご利益】
産業振興、事業成功、家内安全、無病息災
比佐豆知神社 三重県鈴鹿市寺家町
【関連記事】
三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧