勅使橘諸兄が参向、紀貫之も参拝、宮山城址、「カンコ踊り」
[住所]三重県津市戸木町2436
[電話]-
敏太神社(としたじんじゃ)は、三重県津市戸木町にある神社。近鉄名古屋線の久居駅の西約3キロ。戸木神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「敏太神社(伊勢国・壱志郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
風早池の南の山腹。創祀年代は不詳。初代神武天皇以前より、皇祖彦火火出見命とその后である豊玉姫命を祀ってきたと伝えられる。
奈良時代、第45代聖武天皇は、(729年-749年)天平年間に橘諸兄を勅使として、当社に参向せ、祭文を奉献したという。
延喜5年(905年)ごろ、紀貫之が『古今和歌集』の勅撰の時、 参拝したという。式内社「敏太神社」の論社は他に、松阪市美濃田町の当社と同字異音の神社がある。
通称は風早大明神(かざはやだいみょうじん)。戦国時代の天文(1532年-1555年)・天正(1573年-1593年)の頃、木造左中将具政は当社の北の嶺に砦を築いた。
いわゆる宮山城で、この縁故により、当社は木造家の守護神として位置付けられ、社殿の造営や修築はすべて木造家の資金によりなされた。
江戸時代前期の元禄12年(1699年)、藤堂佐渡守高堅も当社の威徳を偲び、信仰を深め、縁起一巻を献納し、藤堂家代々の祈願所とした。
そのため、現在は当社の摂社に、伊勢久居藩の初代藩主である藤堂高通をはじめ、9代藩主である高興の霊位が安置されている。
例祭は10月9日・10日。秋季例祭で、「カンコ踊り」が奉納される。豊年を祝う踊りとして継承されている。以前は毎年、現在は3年ごとに一回の奉納。
鞨鼓(かっこ)と呼ばれる小さな太鼓を抱えて叩きながら踊る。鞨鼓踊り(かっこおどり)が訛って、カンコ踊りと呼ばれるようになったようだ。
年齢は小学生低学年から高校生ぐらい。男の子は鞨鼓、女の子は花笠で踊る。以前は神明講が踊ったが、現在は戸木の東組・中組・西組がそれぞれ継承している。
組別に踊りや囃子が異なり、順次組別に披露される。また、拝殿には奉納された「枡かき祝い(斗掻祝い)」の絵馬がある。枡と斗掻棒(とかきぼう)が描かれている。
斗掻棒とは、枡に穀類を盛った時に枡の縁なみに平らに均す短い棒のこと。枡には斜めもしくは、横一文字に線が引いてある。
米の字を分解すると、八十八。米に対する日本人の概念とともに、末広がりの字が二重ということで、八十八の字そのものが吉事の印象を与えたともいわれている。
境内社に、海神社、橘神社、湯之谷神社、熊野社、高野候前社、秋葉神社、八幡神社、稲荷神社、結神社、山神々社がある。
男女とも最後の厄払いの社ともされ、毎年3月の最初の午の日に、従来の厄除けとともに、稲荷社で神事が斎行される。
【ご利益】
夫婦和合、家内安全、無病息災、身体壮健

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『延喜式神名帳』にある「敏太神社(伊勢国・壱志郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
風早池の南の山腹。創祀年代は不詳。初代神武天皇以前より、皇祖彦火火出見命とその后である豊玉姫命を祀ってきたと伝えられる。
奈良時代、第45代聖武天皇は、(729年-749年)天平年間に橘諸兄を勅使として、当社に参向せ、祭文を奉献したという。
延喜5年(905年)ごろ、紀貫之が『古今和歌集』の勅撰の時、 参拝したという。式内社「敏太神社」の論社は他に、松阪市美濃田町の当社と同字異音の神社がある。
通称は風早大明神(かざはやだいみょうじん)。戦国時代の天文(1532年-1555年)・天正(1573年-1593年)の頃、木造左中将具政は当社の北の嶺に砦を築いた。
いわゆる宮山城で、この縁故により、当社は木造家の守護神として位置付けられ、社殿の造営や修築はすべて木造家の資金によりなされた。
江戸時代前期の元禄12年(1699年)、藤堂佐渡守高堅も当社の威徳を偲び、信仰を深め、縁起一巻を献納し、藤堂家代々の祈願所とした。
そのため、現在は当社の摂社に、伊勢久居藩の初代藩主である藤堂高通をはじめ、9代藩主である高興の霊位が安置されている。
例祭は10月9日・10日。秋季例祭で、「カンコ踊り」が奉納される。豊年を祝う踊りとして継承されている。以前は毎年、現在は3年ごとに一回の奉納。
鞨鼓(かっこ)と呼ばれる小さな太鼓を抱えて叩きながら踊る。鞨鼓踊り(かっこおどり)が訛って、カンコ踊りと呼ばれるようになったようだ。
年齢は小学生低学年から高校生ぐらい。男の子は鞨鼓、女の子は花笠で踊る。以前は神明講が踊ったが、現在は戸木の東組・中組・西組がそれぞれ継承している。
組別に踊りや囃子が異なり、順次組別に披露される。また、拝殿には奉納された「枡かき祝い(斗掻祝い)」の絵馬がある。枡と斗掻棒(とかきぼう)が描かれている。
斗掻棒とは、枡に穀類を盛った時に枡の縁なみに平らに均す短い棒のこと。枡には斜めもしくは、横一文字に線が引いてある。
米の字を分解すると、八十八。米に対する日本人の概念とともに、末広がりの字が二重ということで、八十八の字そのものが吉事の印象を与えたともいわれている。
境内社に、海神社、橘神社、湯之谷神社、熊野社、高野候前社、秋葉神社、八幡神社、稲荷神社、結神社、山神々社がある。
男女とも最後の厄払いの社ともされ、毎年3月の最初の午の日に、従来の厄除けとともに、稲荷社で神事が斎行される。
【ご利益】
夫婦和合、家内安全、無病息災、身体壮健

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