「みぬだ」鎌倉期に八幡合祀、「すすきこわし」など各種神事
[住所]三重県松阪市美濃田町950-1
[電話]-
敏太神社(みぬだじんじゃ/みぬたじんじゃ)は、三重県松阪市美濃田町にある神社。名松線の上ノ庄駅の南西約2.4キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「敏太神社(伊勢国・壱志郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
鎮座地は美濃田(みのだ)。社名は多くの資料で「みぬだ/みぬた」。「みのだじんじゃ」と呼ばれている可能性がある。
創祀年代は不詳。式内社「敏太神社」に関しては、津市の当社と同字異音の神社も論社。式内社名は、「トシタノ/ミヌタ」双方読める。
『万葉集』に「美努女(みぬめ)の浦」を「敏馬浦」と表記されている例から、式内社名も「みぬた」と読むべきであるとして、当社も論社になっている。
式内社「敏太神社」は、平安時代前期の貞観8年(866年)8月14日に正六位上から從五位下へ、貞観18年(876年)閏4月7日には從五位上に進階している。
『美濃田神社旧記』によれば、鎌倉時代初期の建久年間(1190年-1199年)、里人が樹の枝に光る木像を得て、社殿を建てこれを祀った。
この木像が八幡大菩薩及び神功皇后で、以降、敏太八幡宮と称し、通称は「八幡さん」として親しまれた。
『伊勢式内神社撿録』によれば、「八幡ヲ本社トシテ産神八王子ヲ傍ニ祀レリ」とあり、本来は産神八王子だったとも考えられている。
中世の北畠氏以来、関白豊臣秀吉・蒲生氏郷・紀州徳川頼宣らの崇敬が篤かった。元禄2年(1689年)8月15日と宝永2年(1705年)8月などの灯籠がある。
明治41年(1908年)2月20日、郷社に列し、大正4年(1915年)9月17日には境内社11社と無格社八雲神社を合祀した。
御祭神は、誉田別尊・神功皇后・住吉神・鹿嶋神・枚岡神・香取神・比賣神・熱田神・加茂神・建速須佐之男命・市杵嶋姫神・蛭児神。
応神天皇を主神とするもの、応神天皇・神功皇后を主神とするもの、住吉神を表筒男命・中筒男命・底筒男命と表記するものなど、異説も多い。
神紋は「左三巴」。例祭は10月15日。2月3日には「湯立・粥占」があり、竹筒を粥の中に入れ筒の中に入った米粒で作柄を占う行事で、現在は2月第1日曜日。
2月20日が「すすきこわし」で、獅子頭とともに脱穀後の稲積を壊し回る行事。すすき倒し神事とも呼ばれ、現在は2月20日の前の日曜日に行われる。
12月3日が「足焼き」で、どんど火に参拝者の足を祓う行事がある。現在は12月第1日曜日で、神火により参拝者の無病息災を祈願する神事。
境内の入口右手、北側に銅造阿弥陀如来坐像を納めた安養殿がある。高さ3メートルで「美濃田大仏」とも呼ばれる。
この大仏は江戸時代中期の元文2年(1737年)、当社の本地仏として、当社に隣接する真言宗醫王山真楽寺三世住職と美濃田の中川清左衛門が協力して作ったもの。
その製作費用を集めるため、市場庄に小屋を建て、3年間、参宮街道を行き交う人々から寄付を募ったという。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、安産

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敏太神社(みぬだじんじゃ/みぬたじんじゃ)は、三重県松阪市美濃田町にある神社。名松線の上ノ庄駅の南西約2.4キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「敏太神社(伊勢国・壱志郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
鎮座地は美濃田(みのだ)。社名は多くの資料で「みぬだ/みぬた」。「みのだじんじゃ」と呼ばれている可能性がある。
創祀年代は不詳。式内社「敏太神社」に関しては、津市の当社と同字異音の神社も論社。式内社名は、「トシタノ/ミヌタ」双方読める。
『万葉集』に「美努女(みぬめ)の浦」を「敏馬浦」と表記されている例から、式内社名も「みぬた」と読むべきであるとして、当社も論社になっている。
式内社「敏太神社」は、平安時代前期の貞観8年(866年)8月14日に正六位上から從五位下へ、貞観18年(876年)閏4月7日には從五位上に進階している。
『美濃田神社旧記』によれば、鎌倉時代初期の建久年間(1190年-1199年)、里人が樹の枝に光る木像を得て、社殿を建てこれを祀った。
この木像が八幡大菩薩及び神功皇后で、以降、敏太八幡宮と称し、通称は「八幡さん」として親しまれた。
『伊勢式内神社撿録』によれば、「八幡ヲ本社トシテ産神八王子ヲ傍ニ祀レリ」とあり、本来は産神八王子だったとも考えられている。
中世の北畠氏以来、関白豊臣秀吉・蒲生氏郷・紀州徳川頼宣らの崇敬が篤かった。元禄2年(1689年)8月15日と宝永2年(1705年)8月などの灯籠がある。
明治41年(1908年)2月20日、郷社に列し、大正4年(1915年)9月17日には境内社11社と無格社八雲神社を合祀した。
御祭神は、誉田別尊・神功皇后・住吉神・鹿嶋神・枚岡神・香取神・比賣神・熱田神・加茂神・建速須佐之男命・市杵嶋姫神・蛭児神。
応神天皇を主神とするもの、応神天皇・神功皇后を主神とするもの、住吉神を表筒男命・中筒男命・底筒男命と表記するものなど、異説も多い。
神紋は「左三巴」。例祭は10月15日。2月3日には「湯立・粥占」があり、竹筒を粥の中に入れ筒の中に入った米粒で作柄を占う行事で、現在は2月第1日曜日。
2月20日が「すすきこわし」で、獅子頭とともに脱穀後の稲積を壊し回る行事。すすき倒し神事とも呼ばれ、現在は2月20日の前の日曜日に行われる。
12月3日が「足焼き」で、どんど火に参拝者の足を祓う行事がある。現在は12月第1日曜日で、神火により参拝者の無病息災を祈願する神事。
境内の入口右手、北側に銅造阿弥陀如来坐像を納めた安養殿がある。高さ3メートルで「美濃田大仏」とも呼ばれる。
この大仏は江戸時代中期の元文2年(1737年)、当社の本地仏として、当社に隣接する真言宗醫王山真楽寺三世住職と美濃田の中川清左衛門が協力して作ったもの。
その製作費用を集めるため、市場庄に小屋を建て、3年間、参宮街道を行き交う人々から寄付を募ったという。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、安産

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