天穂日命を祀る御靈大明神、河内谷地区の総氏神、錫杖湖で氏子減
[住所]三重県津市芸濃町河内2553
[電話]059-265-3083
小川内神社(おがわうちじんじゃ)は、三重県津市芸濃町河内にある神社。国道162号から県道42号線に入り、錫杖湖を目指す。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「小川内神社(伊勢国・安濃郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。河内の首の祖であるという天穂日命を主祭神としている。河内の首の祖は不詳。社名は「おかわち」とも。
落合から南垣内に至る道に「古社」という地名が残されているが、もとはこの地が鎮座地で、いつの頃か現在地に遷座したという。
もと南垣内の宮の内に鎮座の産土神を御靈大明神と称え、鳥居にその扁額をかかげていた。小河内大明神または御霊大明神として古来から崇敬された。
現在地は、安濃川の上流で、錫杖ヶ岳と経ヶ峰との間の狭谷を流れる我浦川の南岸に屹立する山の斜面にある。
河岸を通ずる道路より石段を登った草木繁茂する崖の上に鎮座する。集落からはかなり離れた山腹にある。
明治6年(1873年)3月、村社に列した。河内谷8地区の総氏神で、明治41年(1908年)7月23日、各地区に鎮座の17社を合祀した。合祀神社の半数が山神社だったという。
合祀神は、健速須佐之男命・天忍穂耳命・八所御霊神・活津彦根命・天津彦根命・熊野久須日命・市伎島姫命・田心比売命・多紀理津姫命・八衢毘古神・八衢毘女神・久那斗神。
山深い地だから山神社が半数だったのだろうが、大山祇神が合祀神に含まれていないのが特徴。主祭神と絡めた、宗像三女神を含む五男三女神が合祀神に含まれている、というのは偶然か。
八所御霊神が、当社が御霊明神と呼ばれた所以か。神名からは、今日との上御霊・下御霊を連想させる。
近代、氏子数は150戸ほどあったが、昭和61年(1986年)、安濃川上流に灌漑用のダムとして錫杖湖が建設され、多くの氏子宅が湖底に沈んだ。
その後、氏子数は減少し続け、今では2-3戸を数えるにとどまっているという。例祭は10月14日。拝殿前に大スギがある。
【ご利益】
地域安全、家内安全

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・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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小川内神社(おがわうちじんじゃ)は、三重県津市芸濃町河内にある神社。国道162号から県道42号線に入り、錫杖湖を目指す。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「小川内神社(伊勢国・安濃郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。河内の首の祖であるという天穂日命を主祭神としている。河内の首の祖は不詳。社名は「おかわち」とも。
落合から南垣内に至る道に「古社」という地名が残されているが、もとはこの地が鎮座地で、いつの頃か現在地に遷座したという。
もと南垣内の宮の内に鎮座の産土神を御靈大明神と称え、鳥居にその扁額をかかげていた。小河内大明神または御霊大明神として古来から崇敬された。
現在地は、安濃川の上流で、錫杖ヶ岳と経ヶ峰との間の狭谷を流れる我浦川の南岸に屹立する山の斜面にある。
河岸を通ずる道路より石段を登った草木繁茂する崖の上に鎮座する。集落からはかなり離れた山腹にある。
明治6年(1873年)3月、村社に列した。河内谷8地区の総氏神で、明治41年(1908年)7月23日、各地区に鎮座の17社を合祀した。合祀神社の半数が山神社だったという。
合祀神は、健速須佐之男命・天忍穂耳命・八所御霊神・活津彦根命・天津彦根命・熊野久須日命・市伎島姫命・田心比売命・多紀理津姫命・八衢毘古神・八衢毘女神・久那斗神。
山深い地だから山神社が半数だったのだろうが、大山祇神が合祀神に含まれていないのが特徴。主祭神と絡めた、宗像三女神を含む五男三女神が合祀神に含まれている、というのは偶然か。
八所御霊神が、当社が御霊明神と呼ばれた所以か。神名からは、今日との上御霊・下御霊を連想させる。
近代、氏子数は150戸ほどあったが、昭和61年(1986年)、安濃川上流に灌漑用のダムとして錫杖湖が建設され、多くの氏子宅が湖底に沈んだ。
その後、氏子数は減少し続け、今では2-3戸を数えるにとどまっているという。例祭は10月14日。拝殿前に大スギがある。
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