上杉謙信が七尾城攻めで祈願、4月春大祭で「鯛釣り舞」
[住所]新潟県糸魚川市筒石464
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水嶋礒部神社(みつしまいそべじんじゃ、水島礒部神社)は、新潟県糸魚川市筒石にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「水島礒部神社(越後国・頸城郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

日本海ひすいラインの筒石駅の北西1キロほど、国道8号線、日本海の海岸にほど近く、近くには筒石漁港がある。

創祀年代は不詳。筒石の産土神として崇敬された。戦国時代、上杉謙信が能登の七尾城攻撃の際、当社に祈願したと伝えられている。

安土桃山時代の天正年間(1573-1592)、村を分割して仙納村を置くにあたり、当社に合併されていた大鷦鷯尊を仙納村の鎮守とした。

これが市内仙納に鎮座する若宮八幡神社であり、これ以来、当社は諏訪大明神となったと伝えられている。

江戸時代初期の慶長9年(1604年)以前より除地9石3斗7合が与えられていた。江戸時代前期の寛文5年(1665年)、焼失した。

江戸時代中期の享保6年(1721年)、再建された。江戸時代後期の文化11年(1814年)、吉田家の許可を得て現社号に復した。

ただし、『越後頸城郡誌稿』には下記のように記載されており、式内比定には疑義が呈されている。他の論社に、上越市清里区の梨平坊ヶ池に同名神社がある。
又筒石村ノ義ハ海邊荒磯ニシテ、磯邊近ク岩礁ノ島アリ センコク島ト云、其島ノ内ニ泉ノ湧出ル處アリト云ハ、水島磯邊ノ名稱空カラサル景況ナリト雖トモ、正シク是ヲ其古跡トスル證據ナク、唯附會想像ノ説タルニ過キス
文政13年(1830年)、幕末の嘉永7年(1854年)などにも社殿が再建されている。明治になり、無格社だったが、大正14年(1925年)7月1日、村社に昇格した。

御祭神は建御名方命天照皇大神豊受大神竒日方命・船玉神を配祀している。例祭は7月13日。4月26日・27日が春季大祭、8月27日が秋季大祭。

春季大祭は豊漁と海の安全を祈願する春大祭で、26日の本祭は境内に舞台を組み、観衆がやり取りを楽しみながら鮮魚を奉納する「鯛釣り舞」が行われる。

「鯛釣り舞」は「海幸(うみさち)」で、舞台上の釣り人と観衆による激しい引き合いの末、タイやブリなどの鮮魚が次々と釣り上げられる。

その年に還暦となる地区在住者、出身者が集まり、奉納の先陣を切るのが習わし。27日は筒石漁港内で漁業関係者が中心となり浜祭が実施される。

境内社に地主神社がある。『西頸城郡誌』によれば、御祭神は葉比呂ノ跼翁だという。

【ご利益】
海上・交通安全、大漁満足、商売繁盛、事業成功
水嶋礒部神社 新潟県糸魚川市筒石
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