飛鳥朝に磯部臣が祀った式内論社、謙信の頃に武神を祀る社へ
水嶋磯部神社 新潟県上越市清里区梨平2056
[住所]新潟県上越市清里区梨平2056
[電話]025-528-3246

水嶋磯部神社(みつしまいそべじんじゃ、水島礒部神社)は、新潟県上越市清里区梨平にある神社。妙高はねうまラインの高田駅の南東約16キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「水島礒部神社(越後国・頸城郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によれば、飛鳥時代の第38代天智天皇10年(670年)12月、大和国吉野で大乱が起こり、逃れてきた磯部臣が当地に留まった。

水嶋の里と定めて、奈良という地名を付けて祖先を祀り、白鳳2年(674年)に社殿を建立したのが、当社の起源。

一説には、青柳の坊ヶ池の縁に勧請し、第41代持統天皇10年(696年)6月、案下官幣に預かったという。鎮座地の小字を磯部山という。

平安時代前期の天安3年(859年)6月2日、火災により、社殿が炎上したという。

本来の御祭神は誉屋別尊。第14代仲哀天皇の皇子で、神功皇后との間の子とされる。誉田別尊(第15代応神天皇)の兄で、磯部臣の祖神である。

しかし、戦国時代になり、上杉謙信が武神を信仰したため、八幡大神(誉田別尊)、鹿島大神(武甕槌命)、香取大神(経津主命)を相殿に祀った。

現在では、誉屋別尊は祀られていない形になっている。江戸時代前期の天和3年(1683年)、除地7反歩が記録されている。

近世を通じて、「青柳大明神」「鹿島大明神」と称していた。江戸時代中期の享保11年(1726年)8月3日、火災により焼失した。

明治5年(1872年)、村社に列したが、同年8月7日、火災で焼失。明治40年(1907年)、字屋敷添の十二神社(天神五柱国津神七柱)と字中ノ俣の諏訪社(健御名方命)を合併。

大正7年(1918年)、北野村の神明社(天照皇大神)と天神社(天穂日命)、水草村の白山社(伊佐那美尊菊理姫命)を合併した。

大正10年(1921年)、社殿が造営された。これが現在の社殿であり、向拝部分の彫刻などに定評がある。

例祭は8月17日。境内社に、烏帽子宮(衣織姫命)と秋葉社(迦具土命)がある。

なお、式内社「水島礒部神社」の論社は他に、市内清里区青柳坊ヶ池糸魚川市筒石に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、武運長久・勝運
水嶋磯部神社 新潟県上越市清里区梨平
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