景行朝に当地土着の多氏の一派が祖神を祀る、室町中期の本殿が重文
[住所]新潟県柏崎市曽地1325
[電話]-
多多神社(ただじんじゃ、多々神社)は、新潟県柏崎市曽地にある神社。国道8号線の近く、越後線の荒浜駅の東約4キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「多多神社(越後国・三島郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
創祀年代は不詳。一説に第12代景行天皇の御宇、吉備武彦に随従した多臣襲木彦がこの地の豪族の娘を娶り、この地に土着した。
そこで、祖神である神八井耳尊と神日本磐余彦命の分霊を勧請したのが始まりともされる。
また社伝によると、平安時代初期の大同元年(806年)、藤原朝臣人道浄眼によって勧請されたのが始まりとも。
当初は、大海の神6柱を合斎して六所権現と称していたという。近郷の総社として機能したともされる。
式内社「多多神社」は「多岐神社」とも表記される。他の論社に、市内西山町別山の多岐神社がある。
現在の本殿は棟札によって戦国時代の永正16年(1519)に建立され、その後たびたび修理され、一部改変されて現在まで残った。
安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、戦乱に巻き込まれ、多くの社殿や記録が失なわれたが、上述の本殿は残ったことになる。
昭和52年(1977年)、本殿の解体修理が行われ、本来の形に戻した。流造の間口1間ほどの板葺き屋根の小さな社殿は、覆屋内にあったため、創建当時の姿をよくとどめている。
室町時代中期の神社建築の特徴をよく示しており、向拝柱、方位や脇障子柱の大きな面、かえる股や木鼻のデザイン、海老虹梁の形などに時代の特色がよく見られる。
貴重な室町時代中期の神社本殿建築の遺構であり、「多多神社本殿」として、国の重要文化財に指定されている。
主祭神は神八井耳命。配祀神は神日本磐余彦尊。例祭は9月14日・15日。4月14日・15日に春季大祭が行われる。
六所権現の名残か、一部資料では、表津海都見命・中津海都見命・底津海都見命のワタツミ三神、表筒男命・中筒男命・底筒男命の住吉三神を合祀しているとしている。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、海上・交通安全、事業成功

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多多神社(ただじんじゃ、多々神社)は、新潟県柏崎市曽地にある神社。国道8号線の近く、越後線の荒浜駅の東約4キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「多多神社(越後国・三島郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
創祀年代は不詳。一説に第12代景行天皇の御宇、吉備武彦に随従した多臣襲木彦がこの地の豪族の娘を娶り、この地に土着した。
そこで、祖神である神八井耳尊と神日本磐余彦命の分霊を勧請したのが始まりともされる。
また社伝によると、平安時代初期の大同元年(806年)、藤原朝臣人道浄眼によって勧請されたのが始まりとも。
当初は、大海の神6柱を合斎して六所権現と称していたという。近郷の総社として機能したともされる。
式内社「多多神社」は「多岐神社」とも表記される。他の論社に、市内西山町別山の多岐神社がある。
現在の本殿は棟札によって戦国時代の永正16年(1519)に建立され、その後たびたび修理され、一部改変されて現在まで残った。
安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、戦乱に巻き込まれ、多くの社殿や記録が失なわれたが、上述の本殿は残ったことになる。
昭和52年(1977年)、本殿の解体修理が行われ、本来の形に戻した。流造の間口1間ほどの板葺き屋根の小さな社殿は、覆屋内にあったため、創建当時の姿をよくとどめている。
室町時代中期の神社建築の特徴をよく示しており、向拝柱、方位や脇障子柱の大きな面、かえる股や木鼻のデザイン、海老虹梁の形などに時代の特色がよく見られる。
貴重な室町時代中期の神社本殿建築の遺構であり、「多多神社本殿」として、国の重要文化財に指定されている。
主祭神は神八井耳命。配祀神は神日本磐余彦尊。例祭は9月14日・15日。4月14日・15日に春季大祭が行われる。
六所権現の名残か、一部資料では、表津海都見命・中津海都見命・底津海都見命のワタツミ三神、表筒男命・中筒男命・底筒男命の住吉三神を合祀しているとしている。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、海上・交通安全、事業成功

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