大国主命の八世孫が開拓、式内・多多神社とも、源頼義が祈願
多岐神社 新潟県柏崎市西山町別山5362
[住所]新潟県柏崎市西山町別山5362
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多岐神社(たきじんじゃ)は、新潟県柏崎市西山町別山にある神社。国道116号線近く、越後線の石地駅の北約1.8キロ、小木ノ城駅の南約2.5キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「多多神社(越後国・三島郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。一説に、大国主命の八世孫である稲田多彦命が当地を開拓し、高龗神を奉斎したという。また一説に、奈良時代末期の延暦12年(793年)の勧請とも。

昔は、高家明神とも一宮とも呼ばれた。多々神社とも多岐神社とも号した。式内社名も「多多神社」「多岐神社」と写本によって異説がある。

式内社「多多神社」の論社は他に、市内曽地に式内同名神社がある。

伝承によれば、平安時代の永承6年(1051年)、前九年の役において、源頼義が安倍頼時を討伐する際、この地で祈願し、社殿を造営したという。

また、鎌倉時代後期の弘安4年(1281年)、元寇の撃退を勅命によって祈願したという。安土桃山時代の文禄年間(1592年-1595年)、火災で古記録などが焼失した。

江戸時代前期の天和3年(1683年)5月、社領として6石3斗5升7合があったという。江戸時代中期の宝暦2年(1752年)の社記が伝わる。

それらによれば、もとは3丁ばかり南の田中に神輿御幸の山があったとか、あるいは現在地の東北東に崗蛟澤(おかばみさわ)という深渓が旧跡とも。

御祭神は高龗神で、合殿に伊弉諾尊大山祇命・大国主命・健御名方命品陀和気尊を祀る。主祭神について、多岐津島姫命、多岐津島比古命、太田命などの異説もある。

明治40年(1907年),字笹山の天神社(天穂日命)、字荒谷の十二社(大山祇命)、字内越の金刀比羅社(大国主命)、字尾頃部の六所社(健御名方命・天穂日命・誉田別尊・伊弉冉尊倉稲魂命猿田彦命)、字立村の十二社(大山祇命)を合併した。

大正6年(1917年)、村社に列した。昭和27年(1952年)8月に字後谷の大宝社(大国主命)と同字羽黒社(倉稲魂命)、同年11月に字甲戸の熊野社(橡樟日命)と諏訪社(健御名方命)を合併した。

境内社に、御嶽社、武布都社(健布都社。武甕槌命・倉稲魂命)、神明社(天照大御神)がある。神明社の石柱には江戸時代後期の文政2年(1819年)とある。

石の鳥居をくぐると、昭和14年(1939年)建立の狛犬や灯籠が並び、「式内多岐神社」の標柱と手水舎がある。

【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、健康長寿、地域安全
多岐神社 新潟県柏崎市西山町別山
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