石辺公の祖神を奉斎、後に鹿島大明神・大鹿嶋、貴重な船絵馬
御嶋石部神社 新潟県柏崎市北条304-1
[住所]新潟県柏崎市北条304-1
[電話]-

御嶋石部神社(みしまいそべじんじゃ)は、新潟県柏崎市北条にある神社。信越本線の北条駅の北約300メートル。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「御島石部神社/御嶋石部神社(越後国・三島郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。当社の南西800メートルにやはり式内論社の石井神社がある。地元では当社を大鹿嶋と呼ぶのに対して、当社を小鹿島と呼ぶという。

なお、市内西山町石地にも当社および式内同名神社があり、その近くにはやはり別の式内論社である石井神社がある。

両者「石」も共通しており、式内社「石井神社」と式内社「御嶋石部神社」には何かしらの関連があることも考えられている。

当初は、北条の南の「八石山」山麓の石部平(現 大場山)山頂にあり、現在は「神倉」と呼ばれる塚があるという。

当社の御祭神は久斯比賀多命。事代主命の御子神で、石辺公の祖神である。社家はもともと三輪氏だったというが、その後途絶えたという。

戦国時代の文亀年間(1501年-1504年)、五十嵐小文治が蒲原郡下田庄より上洛の際、当社に寄寓して家系を嗣ぎ、三輪を改めて五十嵐姓とした。

安土桃山時代の文禄2年(1593年)と江戸時代初期の慶長16年(1611年)、それぞれ寄進の黒印状が伝わる。

江戸時代前期の寛永元年(1624年)、松平越後守より6石1斗7升6合が寄進された。それらの前後、中世から近世にかけて、武甕槌命が配祀された。

旧地の山中には鹿島神宮同様「要石」という大石があるという。当社は「御嶋石部神社鹿島大明神」と呼ばれ、大鹿島の由来。

あるいは別に、「みしま」が「かしま」に転訛した、とも。その後、現在地の裏山に遷座した。

明治6年(1873年)11月、村社に列し、明治39年12月に神饌幣帛料供進社に指定された。昭和41年(1966年)、信越本線改修にため、現在地に遷座した。

例祭は5月4日・5日で春祭り。3月15日に祈年祭があり、8月20日に風神祭が斎行される。

市指定文化財である「船絵馬」は、出雲崎の回船問屋が奉納したもので、柏崎地方に現存する最古の船絵馬ともされている。

弁才船(北前船)海運も垣立だけですんだ初期の姿を示しており、素朴でおおらかな作風。太々とした力強い垣立の作りや、舳先に前まくりの弥帆をあげているのも初期様式。

背景も初期船絵馬の様式で、蓬莱島と絵巻式の吉祥帯とは県内でも珍しい形式になっている。

【ご利益】
海上安全、事業成功、産業振興、商売繁盛
御嶋石部神社 新潟県柏崎市北条
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