水神、川合公の祭祀とも、早くから熊野信仰、風倉山に奥宮
川合神社 新潟県胎内市熱田坂663
[住所]新潟県胎内市熱田坂663
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川合神社(かわいじんじゃ)は、新潟県胎内市熱田坂にある神社。胎内川の近く、羽越本線の平木田駅の南東約10.8キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「川合神社(越後国・沼垂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。

鹿ノ俣川と胎内川が合流する岬状の場所。暑い夏に人気の、水遊び広場で、ウオータートンネルやウオーターマシンガンなど水遊具も豊富にある胎内川大噴水の近く。

一説に、第40代天武天皇の御宇、役小角が諸国を巡拝した際、現在地の南5キロにある標高931メートルの風倉山に登拝し、熊野久須毘神を勧請したのが始まりだという。

第50代桓武天皇の御宇、平安時代初期の延暦年間(782年-806年)、熊野加夫呂岐命を勧請し、熱田明神を創建して、熊野本宮・新宮の神々を配祀したという。

『平成祭データ』によれば、当社の祭典に「風倉奥宮祭り」という神事があり、風倉山山頂には当社奥宮がある。

当社が『新撰姓氏録』にある川合公に関連する社であると考え、川合公は豊城入彦命五世孫である多奇波世君の後裔であるため、当社御祭神を多奇波世君とする説がある。

多奇波世君は、竹葉瀬(たかはせ)、あるいは「竹合」とも表記され、第16代仁徳天皇の時に朝鮮へ派遣された武将である。

ただし、由緒のように、熊野信仰との関わりを指摘する説も根強い。ただし、もともとは水神を祀る社だったとも考えられている。

式内社「川合神社」の論社は他に、当社地を旧地とする由緒を持つ、当社の近くに鎮座する神明宮がある。

また、越後国には魚沼郡にも同名の式内社があり、長岡市東川口の式内同名神社、魚沼市四日町の諏訪神社、小千谷市川井の明口神社が論社。

社運も隆盛し、最盛期には風倉山の麓に50あまりの社殿、堂宇が建ち並び、8坊を擁していたが、鎌倉時代前期の建仁元年(1201年)、兵火により社殿を焼失した。

越後平家一族である城資盛が鎌倉幕府に反抗し、鳥坂城に籠城したため、幕府からの追討軍である佐々木盛綱に攻められ、鳥坂城は落城した戦いによる。

この後、当社は衰微したが、その後再興され、室町時代の応永年間(1394年-1427年)には日本三熊野に数えられ、烏午王の版木を賜った。

ただし、現在当社を日本三熊野に数える説はほぼない。当社御祭神にも諸説ある。多奇波世神・熊野加夫呂岐櫛御食野命湍津姫命

倉稲魂命大山祇命水波之女命を合祀するとも。一方、伊弉冉尊・事解男命・速玉男命という完全に熊野権現を御祭神とするものもある。

『越後國式内神社考』によれば、神功皇后の妹神である與止比咩命水分神が主神で、相殿に熊野神を祀るとしている。どちらにしろ、当社の例祭は8月17日で例大祭。

【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、家内安全、地域安全
川合神社 新潟県胎内市熱田坂
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