風倉山と関わり合いがあるとされる式内・川合神社の論社
[住所]新潟県胎内市熱田坂421
[電話]-
神明宮(しんめいぐう)は、新潟県胎内市熱田坂にある神社。羽越本線の平木田駅の南東約9.5キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「川合神社(越後国・沼垂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。
平木田駅から県道402号線を南東に道なりに進むと、県道53号線に入り、胎内川を渡り、53号線沿いに鎮座する。神明神社とも呼ばれる。
創祀年代は不詳。御祭神は天照大神。『神名帳考證』『特選神名牒』『越後野志』によれば、当社の旧地が、現在地の南東1キロほどの宮久にあったという。
その宮久には現在、川合神社があり、当社同様式内論社。式内社「川合神社」に関して、伝承が残る。
第40代天武天皇の御代、役小角が胎内川の上流で当社の南方8キロに位置する風倉山に登って、熊野久須毘命を勧請したのを起源とする、というもの。
また、風倉山の三峰の神、つまり風倉神・大山祇神・三熊野神を祀ったともいう。当社境内に「風倉山三峯神宮」「古峯神社」と刻された石塔がある。
越後国には魚沼郡にも同名の式内社があり、長岡市東川口の式内同名神社、魚沼市四日町の諏訪神社、小千谷市川井の明口神社が論社。
当社の例祭は11月5日で秋季大祭。境内には垣はなく、石造の神明鳥居と社殿のみの、シンプルな構成。境内の右手には、金毘羅社を祀った石碑がコンクリートの土台の上に並べられている。
社殿裏の下り崖斜面に若干のスギがあるほか、境内には樹木はほとんどない。スギと思われる大木の切り株が2株あり、古くはもう少し樹木があったと考えられている。
【ご利益】
開運招福、厄災除け
【関連記事】
・新潟県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、新潟県に鎮座している神社の一覧
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神明宮(しんめいぐう)は、新潟県胎内市熱田坂にある神社。羽越本線の平木田駅の南東約9.5キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「川合神社(越後国・沼垂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。
平木田駅から県道402号線を南東に道なりに進むと、県道53号線に入り、胎内川を渡り、53号線沿いに鎮座する。神明神社とも呼ばれる。
創祀年代は不詳。御祭神は天照大神。『神名帳考證』『特選神名牒』『越後野志』によれば、当社の旧地が、現在地の南東1キロほどの宮久にあったという。
その宮久には現在、川合神社があり、当社同様式内論社。式内社「川合神社」に関して、伝承が残る。
第40代天武天皇の御代、役小角が胎内川の上流で当社の南方8キロに位置する風倉山に登って、熊野久須毘命を勧請したのを起源とする、というもの。
また、風倉山の三峰の神、つまり風倉神・大山祇神・三熊野神を祀ったともいう。当社境内に「風倉山三峯神宮」「古峯神社」と刻された石塔がある。
越後国には魚沼郡にも同名の式内社があり、長岡市東川口の式内同名神社、魚沼市四日町の諏訪神社、小千谷市川井の明口神社が論社。
当社の例祭は11月5日で秋季大祭。境内には垣はなく、石造の神明鳥居と社殿のみの、シンプルな構成。境内の右手には、金毘羅社を祀った石碑がコンクリートの土台の上に並べられている。
社殿裏の下り崖斜面に若干のスギがあるほか、境内には樹木はほとんどない。スギと思われる大木の切り株が2株あり、古くはもう少し樹木があったと考えられている。
【ご利益】
開運招福、厄災除け
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