信濃川と魚野川の合流点、7月に武者行列や女神輿の川口まつり
川合神社 新潟県長岡市東川口1979-43
[住所]新潟県長岡市東川口1979-43
[電話]-

川合神社(かわあいじんじゃ)は、新潟県長岡市東川口にある神社。上越線の越後川口駅のすぐ近く。信濃川と魚野川の合流点。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「川合神社(越後国・魚沼郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

第21代雄略天皇の御宇に創建されたと伝わる。御祭神は、天水速女命武甕槌命。天水速女命が当地に来た際の伝承が残る。

川を流れてきて山芋のつるにつかまり、川から上がったと伝わる。それから、神は山芋を好むようになったという。

そこで、年の数の山芋を奉納すると、一生に一度の願いを必ず叶えて貰えるといわれるようになった。

式内社「川合神社」の論社は他に、魚沼市四日町の諏訪神社、小千谷市川井の明口神社がある。

また、越後国には沼垂郡にも式内社「川合神社」があり、いずれも胎内市熱田坂の神明宮と、当社および式内同名神社が論社になっている。

平安時代、前九年の役(1051年-1062年)に際して、源義家があおりというどろよけの馬具を奉納した伝わり、そのため「あおり様(泥障様)」とも呼ばれるようになった。

水の神ということから、舟人・川猟、性の神ということから、婦人、武道の神も祀られていることから武運を上げたいものの参拝が多かったという。

信濃川と魚野川の合流点で、三国街道の宿場町ということから、多くの人が参拝し、木陰で休憩したりしていたという。

戦国時代の弘治2年(1556年)、上杉謙信が源義家の2尺2寸の太刀一振と、下記の御詠歌を献じたという。
みなもとの おなし流れの 水面に 照りそう月も 川合の神
右上杉輝虎朝臣詠
新田道純暑
その後、宝積寺の火災とともに焼失した。明治5年(1872年)、一旦は郷社になったが、明治6年(1873年)、村社に列した。

大正11年(1922年)、上越線が開削の際、境内が分断された。昭和41年(1966年)、上越線が複線化工事のため、残された境内も失うことになり、現在地に遷座した。

現社地は、その背後から松沢川が魚野川に注いでいる。例祭は7月18日とされるが、現在は7月第4土・日曜日に、川口まつりとして行われている。

祭りの初日は、地元中学生が地域の伝統を引き継ぐ、源義家を模した勇壮な武者行列、地元小学生による和太鼓演奏「あおり太鼓」が披露される。

夜になると若者たちが担ぐ「万灯みこし」が威勢のいい掛け声とともにまちを練り歩く。また、大花火大会が開催される。

2日目は、地域内の元気な女性たちが担ぐ豪華絢爛「女みこし」が華やかにまちを練り歩き、名物イベント「えちご川口水合戦」も繰り広げられる。

夜は、住民総参加の踊り「えちご川口総にわか」が盛大に行われ、祭りのフィナーレを飾る。

【ご利益】
交通安全、厄災除け、商売繁盛、身体壮健
川合神社 新潟県長岡市東川口
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