越国平定の天香語山命が住した地、義家ゆかりの八幡
[住所]新潟県小千谷市桜町1314
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伊米神社(いめじんじゃ)は、新潟県小千谷市桜町にある神社。信濃川西岸、上越線の小千谷駅の北西、信濃川を越えて約3キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』越後国魚沼郡にある「伊米神社」「魚沼神社」に比定される式内社(小社)の論社。

創祀年代は不詳。天香語山命が越国平定を命じられ、当地に到着。始めは上伊米(現 両新田)に、次いで下伊米(現 桜町)に、その後、当社がある伊米ヶ原の地に住んだ。

社伝によれば、伊米大神は伊米彦命だという。一男一女があって、兄は神稲長穂、妹は伊米多良姫。神稲長穂は上伊米に、伊米多良姫は下伊米に坐したという。

伊米大神は天香山命の別魂ともされる。天香山命を祀るために、式内社「魚沼神社」に比定されたものか。

当社神は当地に製鉄の技術を伝承したと伝わり、鍛冶ヶ沢の地名が残されている。一説に、船岡山に石凝登売命が降臨し、命の御分霊が勧請されたともされる。

式内社「魚沼神社」の論社は他に、市内土川湯沢町に式内同名神社があり、また、南魚沼市の大倉にそれぞれ坂本神社がある。

式内社「伊米神社」の論社は他に、魚沼市の清水川辺神社四日町諏訪神社虫野諏訪神社、南魚沼市の一宮神社湯沢町三俣の当社および式内同名神社がある。

当社はその後、下伊米に遷座、そして現在地である伊米ヶ原に再遷座し、いずれかの時期に、当地に鎮座していた八幡宮と一体化した。

当社が八幡宮を合祀した、とも、八幡宮が当社を合祀した、とも。この八幡宮の創建は、平安時代後期。

源義家が当地の賊との戦いで苦戦し、八幡神に念じたところ、何とか命が救われたことから、社殿を造営し、自らの守り本尊(八幡神)を安置したのが始まり。

また、康平7年(1064年)、奥州での前九年合戦の際、義家は戦勝祈願をすると、見事念願成就したことから、広大な社領を寄進し、2人の家臣を残して守護させた。

当時の社領は広大だったようで、現在でも周辺には一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮、阿弥陀堂など、当社や八幡宮と関連があったと思われる地名が残されている。

御祭神は天香語山命、相殿に八幡神として、誉田別命を祀る。ただし、『神名帳考證』では稲魂女、『大日本史神祇志』では天香山命別魂としての伊米大神などとしている。

例祭は8月23日。境内には明治39年(1906年)に石工・諸我佐久治によって建立された狛犬一対が安置されている。

【ご利益】
事業成功、産業振興、厄災除け
伊米神社 新潟県小千谷市桜町
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