信濃川舟運の交通の要衝、9月に登り屋台の与板十五夜祭り
[住所]新潟県長岡市与板町与板6044
[電話]0258-72-2135

都野神社(つのじんじゃ)は、新潟県長岡市与板町与板にある神社。信越本線の見附駅の西約10キロ、信濃川を渡る。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「都野神社(越後国・古志郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。古くから信濃川舟運、交通の要所とされた与板の総鎮守として、広く信仰されてきた。

御祭神は多紀理姫命市杵島姫命多紀津姫命宗像三女神で、海上交通の守護神。当初の鎮座地である背後の山頂は、船から目立ち、灯明が灯台や目印に利用された。

山頂付近には巨石も多く残り、古代祭祀の痕跡をとどめる。南北朝時代の貞治年間(1362年-1367年)、山頂から中腹である字八幡平に遷座した。

直江山城守兼続が与板城を築いた際、宇佐八幡宮の御分霊(応神天皇神功皇后)を勧請、以来、津ノ明神・八幡宮などと呼ばれるようになった。

江戸時代前期の寛永年間(1624年-1643年)、与板藩初代藩主牧野康成により現在地に遷座、以後、豊幡飯成神社、井伊神社とともに与板の三大神社として崇敬された。

江戸時代後期の天保7年(1836年)、大火で社殿が焼失、8代藩主井伊直経がその再建にあたり、大坂屋などの有力商人なども尽力した。

現在の社殿はその再建当時のもので、三間社流造、正面千鳥破風、唐破風向拝の本殿は天保11年(1840年)のもの。

入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、平入、桁行6間、正面唐破風向拝付の拝殿、幣殿は嘉永元年(1848年)に造営された。

特に彫刻は、熊谷宿小林斎源太郎によるもので、3年の歳月をかけたとされる。「都野神社社殿(八幡宮御本社彫物仕用)」として、市指定有形文化財。

明治になり、現社号に復し、明治6年(1873年)、村社に列し、大正7年(1918年)には郷社に昇格した。

例祭は9月14日-16日で秋季例大祭。登り屋台で知られる。与板の豪商が上方に商いに行ったおり、祇園祭にヒントを得て、出したのが始まりとされる。

江戸時代中期の宝暦7年(1757年)、夜のとばりがおりると、3台の屋台にそれぞれ100名近い青少年が乗り込んだ。

社壇のお先祓神楽を先導に、100名あまりの引き手がお囃子にあわせて町内を練り、当社へ登る。

屋台坂にさしかかると、万灯のゆらぐ中、笛、太鼓の拍子にあわせて、勇壮な登り行事が展開される。現在は町主催の与板十五夜祭りと合同開催。

3台の屋台が奉納されると、舞台で芸能が始まる。かつては、3台の屋台にも仮設の花道をつけ、歌舞伎を上演し、観客は回り舞台のようにぐるぐる回って観覧したという。

9月15日には神輿渡御も行われる。天明7年(1716年)、京都で制作、大津、敦賀を経て新潟、与板と舟路で届いた神輿。子供パレ-ドもある。

4月14日-15日が春祭りで、7月15日が夏祭りであり、夏祭りでは与板郷の貴重な民俗芸能である神代神楽が奉納される。

6月30日が夏越大祓祭、12月31日が年越大祓で、人形流しが行われる。氏子崇敬者が心身の穢れを人形に託して当社に納め、午前0時を期して、信濃川の清流に流す。

境内社に、神明宮(天照大神)・金山神社(金山彦命彦火々出見命見野命)・金比羅宮(大物主命)・牛頭天王社(建速須佐之男命)・稲荷社(宇迦之御魂大神)・天満宮(菅原道真公)などがある。

なお、式内社「都野神社」の論社は他に、市内芹川町に当社および式内同名神社があり、市内宮内の高彦根神社がある。また、三条市月岡の槻田神社も論社とされる場合がある。

【ご利益】
海上・交通安全、商売繁盛、事業成功、厄災除け
都野神社 新潟県長岡市与板町与板
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