頼朝から神領3000貫の寄進、御館の乱で衰微、昔は生贄の風習
高彦根神社 新潟県長岡市宮内5-6-51
[住所]新潟県長岡市宮内5-6-51
[電話]0258-35-6318

高彦根神社(たかひこねじんじゃ)は、新潟県長岡市宮内にある神社。信越本線の宮内駅の北約1キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「都野神社(越後国・古志郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。現在は金峯神社が兼務している。

創祀年代は不詳。式内社「都野神社」の論社は他に、市内の与板町芹川町に式内同名神社があり、三条市月岡の槻田神社も論社とされる場合がある。

御祭神は味耜高彦根命。歴代領主や為政者から崇敬、庇護され、鎌倉時代には初代将軍源頼朝から神領3000貫が寄進され、社運は隆盛した。

寺院跡、観音堂、 天神堂、仁王門など、周辺地域には当社の境内地だったと思われる地名が散見しており、往時は相当な大社だったと考えられている。

古くから神仏習合し、別当寺院として、正行寺・西福寺・長福寺・西入寺が祭祀を担ってきた。

安土桃山時代の天正6年(1578年)、春日山城の城主上杉謙信が死去すると、後継者争いである御館の乱が勃発、当社は影虎側に付き、兵火により焼失。

江戸時代になると、長岡藩の歴代藩主から庇護され、江戸時代初期の元和2年(1618年)、堀直奇から社領70石が安堵され、その後の藩主も追認した。

江戸時代までは一王神社などと呼ばれていた。小丹生神社の由緒によれば、一王神とは漢の高祖の裔とされる王仁公のことだとされる。

王仁公は、大彦命の御子神で、新羅の王女である天美明命を娶り、越の中ツ国に館を定め小丹生(をにふ)の三官(みきみ)と称した波多武日小命に付き従い、当地に来た。

それぞれの死後、小丹生神社では波多武日子命・天美明命が祀られ、当社では王仁公が祀られたという。

明治になり、現社号に改称、明治6年(1873年)、村社に列し、明治40年(1907年)に神饌幣帛料供進社に指定された。

拝殿は木造平屋建て、入母屋、妻入、銅板葺き、間口2間、奥行き2間、正面1間向拝付き。本殿は一間社流造、銅板葺き。

例祭は8月17日。午前中に神事が行われ、同時に各戸祓と呼ばれる、氏子宅をお祓いをする行事がある。数十軒お祓いをして回る。

夜には宵宮神事が行われる。この頃になると、境内一面人があふれる。市の無形文化財の指定される神楽が奉納され、露店も出て、夏休み中の小中学生を中心に、賑わう。

なお昔、当社殿の東に10坪ほどの池があり、春秋の祭典に生贄を供したという。片目の魚が棲息した御加持ヶ池とも呼ばれたが、今は形跡をとどめていない。

【ご利益】
地域安全、諸願成就
高彦根神社 新潟県長岡市宮内
【関連記事】
新潟県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、新潟県に鎮座している神社の一覧