三条総鎮守、5月に10万石の格式の大名行列、式内から譲られた太刀
[住所]新潟県三条市八幡町12-18
[電話]0256-33-1278
三条八幡宮(さんじょうはちまんぐう)は、新潟県三条市八幡町にある神社。信濃川東岸、弥彦線の北三条駅の西約500メートル。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代前期の仁和元年(885年)、石清水八幡宮の御分霊を東大崎地内の八幡山に勧請したのが始まり。
安土桃山時代の慶長4年(1599年)、現在地に遷座して以来、三条の人々から産土神として崇敬された。
江戸時代後期の文政5年(1822年)、三条一帯は村上藩に属しており、6代藩主内藤信敦が京都所司代の任に就いた。
これを契機に、神輿渡御に伴う10万石の格式を備えた大名行列が祝宴として行われた。これが現在の三条まつりの起源である。
社宝の大太刀(銘信国)はもとは小丹生神社に奉納されたものだったが、神官の養子縁組の際、三条市荒町の槻田神社に譲られた。
槻田神社は当宮の北方約500メートルに位置し、当宮に対して、裏八幡と呼ばれ、もとより関係があった。
明治になり、当宮が槻田神社を合祀することになり、その太刀も当宮が所有するようになった。県の重要文化財に指定されている。
他に、室町時代の文明3年(1471年)の銘がある青銅製、直径37センチ、重さ121キロの鰐口などを所有する。なお、槻田神社は合祀後間もなく復社している。
当社の御祭神は、誉田別尊・気長足姫命・比売大神。1月14日夜には献灯祭が行われ、5月15日が三条まつり。
「十万石格式の大名行列一式」として、市の無形民俗文化財に指定されている。また、やはり市指定無形民俗文化財の「先供(奴)祭り囃子」が奉納される。
大名行列の後、親が子供の無事成長を祈って、2~3歳の子供を肩に乗せ、神輿、太鼓とともに当宮社殿を3周して拝殿に納まる「舞込(まいこみ)」も行われる。
他に、出雲流神楽、太夫舞の三条神楽32座が伝わっており、県の無形民俗文化財に指定されている。
当社境内には、近辺の金属関係者から信仰されている金山神社(金山毘古命・石凝姥命・天目一之命)がある。他に、稲荷神社や厳島神社がある。
【ご利益】
厄災除け、安産、地域安全、産業振興
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三条八幡宮(さんじょうはちまんぐう)は、新潟県三条市八幡町にある神社。信濃川東岸、弥彦線の北三条駅の西約500メートル。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代前期の仁和元年(885年)、石清水八幡宮の御分霊を東大崎地内の八幡山に勧請したのが始まり。
安土桃山時代の慶長4年(1599年)、現在地に遷座して以来、三条の人々から産土神として崇敬された。
江戸時代後期の文政5年(1822年)、三条一帯は村上藩に属しており、6代藩主内藤信敦が京都所司代の任に就いた。
これを契機に、神輿渡御に伴う10万石の格式を備えた大名行列が祝宴として行われた。これが現在の三条まつりの起源である。
社宝の大太刀(銘信国)はもとは小丹生神社に奉納されたものだったが、神官の養子縁組の際、三条市荒町の槻田神社に譲られた。
槻田神社は当宮の北方約500メートルに位置し、当宮に対して、裏八幡と呼ばれ、もとより関係があった。
明治になり、当宮が槻田神社を合祀することになり、その太刀も当宮が所有するようになった。県の重要文化財に指定されている。
他に、室町時代の文明3年(1471年)の銘がある青銅製、直径37センチ、重さ121キロの鰐口などを所有する。なお、槻田神社は合祀後間もなく復社している。
当社の御祭神は、誉田別尊・気長足姫命・比売大神。1月14日夜には献灯祭が行われ、5月15日が三条まつり。
「十万石格式の大名行列一式」として、市の無形民俗文化財に指定されている。また、やはり市指定無形民俗文化財の「先供(奴)祭り囃子」が奉納される。
大名行列の後、親が子供の無事成長を祈って、2~3歳の子供を肩に乗せ、神輿、太鼓とともに当宮社殿を3周して拝殿に納まる「舞込(まいこみ)」も行われる。
他に、出雲流神楽、太夫舞の三条神楽32座が伝わっており、県の無形民俗文化財に指定されている。
当社境内には、近辺の金属関係者から信仰されている金山神社(金山毘古命・石凝姥命・天目一之命)がある。他に、稲荷神社や厳島神社がある。
【ご利益】
厄災除け、安産、地域安全、産業振興
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