三条城の鎮守、江戸初期に遷座して裏八幡、一時期八幡宮に合祀
[住所]新潟県三条市荒町1-12-17
[電話]-
槻田神社(つきたじんじゃ)は、新潟県三条市荒町にある神社。信濃川東岸、弥彦線の北三条駅の北西約700メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「槻田神社(越後国・蒲原郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。
創祀年代は不詳。式内社「槻田神社」の論社は他に、市内月岡に当社および式内同名神社がある。
平安時代の応徳2年(1085年)、三條定明が三条城を築いた際、城の鎮守として二ノ丸に勧請したのが始まりともされる。
これが創祀であれば、『延喜式』後のことであり、式内社足りえない。江戸時代初期の元和3年(1617年)、信濃川の氾濫により、社殿が大破し、現在地に遷座した。
三条城が廃城になると、荒町の産土神として信仰され、当社南方500メートルに三条総鎮守の三条八幡宮があることに対して、当社は裏八幡と呼ばれた。
幕末の文久元年(1861年)、明治2年(1869年)、また、後述の合祀と復社の間となる明治13年(1880年)にそれぞれ火災があり、社殿が焼失した。
明治6年(1873年)、あるいは明治7年(1874年)、その三條八幡宮に合祀された。その際、小丹生神社から譲られたと伝わる神刀(八俣ノ刀)も八幡宮に移った。
明治12年(1879年)、あるいは明治15年(1882年)、荒町住民達の懇願により、独立、復社した。現在の社殿は平成になって再建されたもの。
御祭神は調倉神・倉稲魂命・誉田別尊。配神は水速女命・素盞嗚尊・大山咋命・木花咲耶姫命。例祭は6月15日。調倉神は不詳だが、食物神か。
【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、地域安全

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・新潟県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、新潟県に鎮座している神社の一覧
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槻田神社(つきたじんじゃ)は、新潟県三条市荒町にある神社。信濃川東岸、弥彦線の北三条駅の北西約700メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「槻田神社(越後国・蒲原郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。
創祀年代は不詳。式内社「槻田神社」の論社は他に、市内月岡に当社および式内同名神社がある。
平安時代の応徳2年(1085年)、三條定明が三条城を築いた際、城の鎮守として二ノ丸に勧請したのが始まりともされる。
これが創祀であれば、『延喜式』後のことであり、式内社足りえない。江戸時代初期の元和3年(1617年)、信濃川の氾濫により、社殿が大破し、現在地に遷座した。
三条城が廃城になると、荒町の産土神として信仰され、当社南方500メートルに三条総鎮守の三条八幡宮があることに対して、当社は裏八幡と呼ばれた。
幕末の文久元年(1861年)、明治2年(1869年)、また、後述の合祀と復社の間となる明治13年(1880年)にそれぞれ火災があり、社殿が焼失した。
明治6年(1873年)、あるいは明治7年(1874年)、その三條八幡宮に合祀された。その際、小丹生神社から譲られたと伝わる神刀(八俣ノ刀)も八幡宮に移った。
明治12年(1879年)、あるいは明治15年(1882年)、荒町住民達の懇願により、独立、復社した。現在の社殿は平成になって再建されたもの。
御祭神は調倉神・倉稲魂命・誉田別尊。配神は水速女命・素盞嗚尊・大山咋命・木花咲耶姫命。例祭は6月15日。調倉神は不詳だが、食物神か。
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