越後国蒲原郡、現在の新潟県五泉市に鎮座する藩主家崇敬社
村松藩五社(むらまつはんごしゃ)とは、江戸時代に越後国蒲原郡のうち、村松・下田・七谷・見附地方を支配した村松藩、その藩主家である堀家に崇敬された五つの神社の総称である。現在の新潟県五泉市に藩庁として村松城が置かれたため、この五つの神社も同市内に点在している。
村松藩は寛永16年(1639年)、堀直寄の次男である堀直時が安田3万石を与えられたことから始まる。寛永21年(1644年)5月、直時の子である堀直吉の時代に領地替えが行なわれて陣屋を安田から村松に移したことから、正式な村松藩が始まった。
村松藩はその所領の大半が山間地であったため、新田開発を成しても石高の伸びは少なく、貞享4年(1687年)では実質的な石高は4万石だったと言われている。
この貴重な4万石の中から、藩政を通じて一貫して社領が寄進され続け、現在でも一部残る社殿の造営が行われ続けたのが、この村松藩五社である。
江戸時代前期には村松藩三社として、崇敬社が固まり、江戸時代中期の元文4年(1739年)、現在みられる五社制度となった。
江戸時代前期から財政悪化が表面化していたが、江戸時代後期の文化11年(1814年)になって、藩全土で百姓一揆が勃発するほど厳しい財政事情の中で、藩主家が一貫して崇敬し、それに対して民衆も支持していた節のあるこの五社を紹介する。
[概要]藩内随一の社領10石
[住所]五泉市石曽根305
[電話]-
[概要]弘仁5年(814年)の勧請
[住所]五泉市村松甲6531
[電話]-
[概要]最澄が正円寺の鎮守として勧請。旧郷社
[住所]五泉市村松甲5976
[電話]0250-58-7020
[概要]舟神輿と高砂人形。旧村社
[住所]五泉市村松甲5959
[電話]0250-42-5195
[概要]坂上田村麻呂が創祀、源義家が祈願。式内論社
[住所]五泉市矢津1896
[電話]-
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 神社めぐり全国編
村松藩は寛永16年(1639年)、堀直寄の次男である堀直時が安田3万石を与えられたことから始まる。寛永21年(1644年)5月、直時の子である堀直吉の時代に領地替えが行なわれて陣屋を安田から村松に移したことから、正式な村松藩が始まった。
村松藩はその所領の大半が山間地であったため、新田開発を成しても石高の伸びは少なく、貞享4年(1687年)では実質的な石高は4万石だったと言われている。
この貴重な4万石の中から、藩政を通じて一貫して社領が寄進され続け、現在でも一部残る社殿の造営が行われ続けたのが、この村松藩五社である。
江戸時代前期には村松藩三社として、崇敬社が固まり、江戸時代中期の元文4年(1739年)、現在みられる五社制度となった。
江戸時代前期から財政悪化が表面化していたが、江戸時代後期の文化11年(1814年)になって、藩全土で百姓一揆が勃発するほど厳しい財政事情の中で、藩主家が一貫して崇敬し、それに対して民衆も支持していた節のあるこの五社を紹介する。
神明宮(五泉市石曽根)
[概要]藩内随一の社領10石
[住所]五泉市石曽根305
[電話]-
春日神社(五泉市村松)
[概要]弘仁5年(814年)の勧請
[住所]五泉市村松甲6531
[電話]-
日枝神社(五泉市村松)
[概要]最澄が正円寺の鎮守として勧請。旧郷社
[住所]五泉市村松甲5976
[電話]0250-58-7020
住吉神社(五泉市村松)
[概要]舟神輿と高砂人形。旧村社
[住所]五泉市村松甲5959
[電話]0250-42-5195
矢津八幡宮
[概要]坂上田村麻呂が創祀、源義家が祈願。式内論社
[住所]五泉市矢津1896
[電話]-
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 神社めぐり全国編
コメント