勧請は平安期とも南北朝期とも、村松藩五社の一つ
[住所]新潟県五泉市石曽根305
[電話]-
神明宮(しんめいぐう)は、新潟県五泉市石曽根にある神社。近代社格では無格社。磐越西線の五泉駅の南約4.5キロ、国道290号線沿い。御朱印の有無は不明。
創祀年代は不詳。一説い、平安時代初期の大同元年(806年)に勧請され、大同2年(807年)に御神体が奉納されたのが始まりとされる。
あるいは一説に、南北朝時代に伊勢出身の山田内蔵助が当地に土着し、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の御分霊(豊受皇大神)を勧請したのが始まりとも。
古くから越後国蒲原郡菅名庄石曽根の鎮守として、住民からの信仰が篤く、江戸時代に入ると村松藩の藩主堀家の崇敬社となり、庇護された。
社領10石の寄進があり、この社領は藩内随一だとされる。御初穂料として銀10匆も寄進されていた。
江戸時代前期の明暦2年(1656年)、2代藩主堀直吉が社殿を造営し、春日神社、日枝神社、住吉神社、矢津八幡宮とともに村松藩五社に数えられた。
江戸時代後期の天保9年(1838年)、御神体の破損が激しかったため、田代石見兼信が発願し、9代藩主堀直央が京都の仏師に頼み、修復した。
明治維新後は庇護者を失い、衰微し、境内も縮小された。現在の社殿は明治34年(1901年)に改修されたもの。
寄棟、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付。本殿は一間社神明造、銅板葺。御祭神は豊受皇大神で、現在までに市杵嶋姫命・田心姫命・端津姫命の宗像三女神を配祀している。
【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、安産、交通安全
【関連記事】
・村松藩五社 - 越後国蒲原郡、現在の新潟県五泉市に鎮座する藩主家崇敬社
・新潟県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、新潟県に鎮座している神社の一覧
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神明宮(しんめいぐう)は、新潟県五泉市石曽根にある神社。近代社格では無格社。磐越西線の五泉駅の南約4.5キロ、国道290号線沿い。御朱印の有無は不明。
創祀年代は不詳。一説い、平安時代初期の大同元年(806年)に勧請され、大同2年(807年)に御神体が奉納されたのが始まりとされる。
あるいは一説に、南北朝時代に伊勢出身の山田内蔵助が当地に土着し、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の御分霊(豊受皇大神)を勧請したのが始まりとも。
古くから越後国蒲原郡菅名庄石曽根の鎮守として、住民からの信仰が篤く、江戸時代に入ると村松藩の藩主堀家の崇敬社となり、庇護された。
社領10石の寄進があり、この社領は藩内随一だとされる。御初穂料として銀10匆も寄進されていた。
江戸時代前期の明暦2年(1656年)、2代藩主堀直吉が社殿を造営し、春日神社、日枝神社、住吉神社、矢津八幡宮とともに村松藩五社に数えられた。
江戸時代後期の天保9年(1838年)、御神体の破損が激しかったため、田代石見兼信が発願し、9代藩主堀直央が京都の仏師に頼み、修復した。
明治維新後は庇護者を失い、衰微し、境内も縮小された。現在の社殿は明治34年(1901年)に改修されたもの。
寄棟、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付。本殿は一間社神明造、銅板葺。御祭神は豊受皇大神で、現在までに市杵嶋姫命・田心姫命・端津姫命の宗像三女神を配祀している。
【ご利益】
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