欽明朝の勧請、賀茂神と八幡神を合祀、6月に上条まつり
[住所]新潟県加茂市八幡1-8-18
[電話]0256-52-3101
長瀬神社(ながせじんじゃ)は、新潟県加茂市八幡、旧大字上条にある神社。賀茂川北岸、信越本線の賀茂駅の東約2.7キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「長瀬神社(越後国・蒲原郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
伝承によれば、第29代欽明天皇(在位:539年-571年)の御代、勅願により勧請されたのが始まりと伝えられている。
古くから上条村、狭口村の産土神として信仰されてきた。社号からも境内前面に流れる加茂川と関係が深く、当初は水神、川神として知られる瀬織津姫命1柱が奉斎された。
その後、奈良県御所市の鴨都波神社の御分霊である言代主命が祀られるようになった。その由緒は不詳だが、隣接する青海郷は賀茂神社(上賀茂・下鴨)の神領だった。
平安時代後期の長治2年(1105年)、源頼義の次男である加茂次郎源美濃守義綱が石清水八幡宮の御分霊(気長足姫命・誉田別命・玉依姫命)を勧請、合祀した。
歴代領主からも崇敬され、庇護されて、社殿の造営や、社領の寄進、神宝の奉納などが行なわれた。戦国時代の永正5年(1508年)、天正2年(1574年)に造営の記録が残る。
江戸時代初期の元和(1615年-1624年)・寛永(1624年-1645年)には、北は田上町湯川から南は三条市の塚之目に及ぶ41ヶ村、いわゆる青海庄八ヶ条の一宮と称された。
江戸時代を通じて、新発田藩の藩主溝口家の崇敬社となった。江戸時代前期の延宝7年(1679年)、社殿が造営された。
貞享5年(1688年)、4代藩主溝口重雄から社領8反が寄進された。八幡神が合祀されて以降「八幡宮」などと呼ばれた。
現在の本殿は江戸時代後期の弘化4年(1847年)に再建されたもので、越中の名工松井角平によって手懸けられたもの。
明治になり、現社号に復し、明治5年(1872年)には村社に列し、昭和16年(1941年)には郷社に昇格した。
資料によっては、村社どまり、県社に昇格なども見られるが、おそらくは昭和16年の郷社昇格が正しいようだ。
例祭は6月15日。前日の14日が宵宮で、東実が本宮。春季祭礼で、上条まつり(じょうじょうまつり)とも、「だんご祭り」とも呼ばれる。
当日の15日午後、重さ500キロとも600キロとも言われ、弘化5年(1848年)に新調されたとされる全国的にも珍しい六角形の神輿が繰り出し、市内を巡る。
9月14・15日には秋季祭礼が行われ、当日の15日には約100発の奉納花火があがる。
表参道の他、八幡橋のところに裏参道が通じている。その参道入口に大ケヤキがある。樹高10メートル、目通り幹囲6メートル、推定樹齢1000年。
「加茂市の名木」に指定されている。他に、境内には目通り3-4メートルのスギが多く立っている。
なお、式内社「長瀬神社」の論社は他に、市内の宮寄上に当社および式内同名神社があり、また五泉市の矢津八幡宮がある。
【ご利益】
厄災除け、地域安全
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長瀬神社(ながせじんじゃ)は、新潟県加茂市八幡、旧大字上条にある神社。賀茂川北岸、信越本線の賀茂駅の東約2.7キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「長瀬神社(越後国・蒲原郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
伝承によれば、第29代欽明天皇(在位:539年-571年)の御代、勅願により勧請されたのが始まりと伝えられている。
古くから上条村、狭口村の産土神として信仰されてきた。社号からも境内前面に流れる加茂川と関係が深く、当初は水神、川神として知られる瀬織津姫命1柱が奉斎された。
その後、奈良県御所市の鴨都波神社の御分霊である言代主命が祀られるようになった。その由緒は不詳だが、隣接する青海郷は賀茂神社(上賀茂・下鴨)の神領だった。
平安時代後期の長治2年(1105年)、源頼義の次男である加茂次郎源美濃守義綱が石清水八幡宮の御分霊(気長足姫命・誉田別命・玉依姫命)を勧請、合祀した。
歴代領主からも崇敬され、庇護されて、社殿の造営や、社領の寄進、神宝の奉納などが行なわれた。戦国時代の永正5年(1508年)、天正2年(1574年)に造営の記録が残る。
江戸時代初期の元和(1615年-1624年)・寛永(1624年-1645年)には、北は田上町湯川から南は三条市の塚之目に及ぶ41ヶ村、いわゆる青海庄八ヶ条の一宮と称された。
江戸時代を通じて、新発田藩の藩主溝口家の崇敬社となった。江戸時代前期の延宝7年(1679年)、社殿が造営された。
貞享5年(1688年)、4代藩主溝口重雄から社領8反が寄進された。八幡神が合祀されて以降「八幡宮」などと呼ばれた。
現在の本殿は江戸時代後期の弘化4年(1847年)に再建されたもので、越中の名工松井角平によって手懸けられたもの。
明治になり、現社号に復し、明治5年(1872年)には村社に列し、昭和16年(1941年)には郷社に昇格した。
資料によっては、村社どまり、県社に昇格なども見られるが、おそらくは昭和16年の郷社昇格が正しいようだ。
例祭は6月15日。前日の14日が宵宮で、東実が本宮。春季祭礼で、上条まつり(じょうじょうまつり)とも、「だんご祭り」とも呼ばれる。
当日の15日午後、重さ500キロとも600キロとも言われ、弘化5年(1848年)に新調されたとされる全国的にも珍しい六角形の神輿が繰り出し、市内を巡る。
9月14・15日には秋季祭礼が行われ、当日の15日には約100発の奉納花火があがる。
表参道の他、八幡橋のところに裏参道が通じている。その参道入口に大ケヤキがある。樹高10メートル、目通り幹囲6メートル、推定樹齢1000年。
「加茂市の名木」に指定されている。他に、境内には目通り3-4メートルのスギが多く立っている。
なお、式内社「長瀬神社」の論社は他に、市内の宮寄上に当社および式内同名神社があり、また五泉市の矢津八幡宮がある。
【ご利益】
厄災除け、地域安全
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