継体朝に創祀された布施爪大明神、上杉謙信の乱入で焼失
布勢神社 富山県魚津市布施爪947
[住所]富山県魚津市布施爪947
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布勢神社(ふせじんじゃ)は、富山県魚津市布施爪にある神社。布施川南岸、富山地方本線の石田駅の南西6.5キロ。県道128号線沿い。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「布勢神社(越中国・新川郡)」に比定される式内社(小論社)。近代社格では村社。

第26代継体天皇の御宇、勧請したと伝わる。当初は布施爪大明神と称した。平安時代の延喜年間(901年-923年)、現社号に改称した。

布施川流域は新川東部では最も早くから拓けたところで、阿古屋古墳群があり、古代には布勢駅もあった地である。

当社は大和王権の北陸進出との関わりで考えられている。社名から布勢氏との関係が想定される。布朝臣の祖は大彦命

ただし、現在の御祭神は、五十猛命五十日足彦命。当社では一貫して五十猛命を主張する。『文政社号帳』では、天児屋命・五十猛命としている。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、上杉謙信の越中乱入の際に兵火に罹り、古記録や社殿が焼失した。

もとは現在の朴谷、布施爪の館(たち)という地に鎮座したが、江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)、布施爪の中の段、現在地へ遷座した。

明治になり、村社に列し、明治41年(1908年)2月、神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は春季例祭が3月25日、秋季例祭が9月25日。

拝殿は木造平屋建て入母屋、桟瓦葺き、妻入り、間口3間、正面1間、向拝付き。本殿は覆い屋内部のため不詳。

式内社「布勢神社」の論社は他に、立山町芦峅寺の雄山神社中宮祈願殿の境内にある若宮社の相殿に祀られているものがある。また、越中国には射水郡にも同名の式内社がある。

【ご利益】
家内安全、地域安全、リフレッシュ、一族・子孫繁栄
布勢神社 富山県魚津市布施爪
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