川中島の戦いで荒廃、江戸期の洪水で流出、安曇族の祖を祀る社
[住所]長野県長野市稲里町下氷鉋1092
[電話]-
氷鉋斗賣神社(ひがのとめじんしゃ。氷鉋斗売神社)は、長野県長野市稲里町下氷鉋にある神社。信越本線の川中島駅の西約2.4キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「氷鉇斗売神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。銫は「かんな」と読み、鉋と同じ文字。つまり、氷銫斗賣神社/氷銫斗売神社とも表記され、当社の社号標や鳥居扁額にはこちらが使われている。
もと氷鉋村は、上・中・下の三村に分かれ、下の社が氷銫斗賣神社と称し、上・中の社は諏訪社と称していたという。
このうち、おそらく上の諏訪社と呼ばれたのが、現在の御厨の更級斗女神社で、当社と同じく式内社「氷鉇斗売神社」の論社である。
当社の鎮座する川中島一帯は、戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)より戦場と化し、住民は離散し、荒涼とした地となった。
さらに、江戸時代中期の寛保2年(1742年)8月、犀川・千曲川の氾濫により、当社も流出し、当社の古記録も散逸した。
当社の主祭神は宇都志日金拆命(うつしひがなさくのみこと)。当社号「ひがなとめ」との関連が指摘されている。
ただし、斗賣/斗売は通常女神であり、宇都志日金拆命の妃か妹を祀るとする説もある。どちらにしろ、海神の綿津見神の系譜であり、阿曇連・安曇宿禰らの祖神か。
明治6年(1873年)4月、郷社に列した。現在までに建御名方命・八坂斗売命(八坂刀売神)を配祀する。例祭は9月23日。
境内社に、津島社(須佐之男命)、伊勢社(天照皇太神)、八幡宮(誉田別命)、天満宮(菅原道真)、養蚕社(保食命)、秋葉社(迦具土命)などがある。
なお、当社から西に約1.5キロほど、氷鉋公園に隣接して、川中島斗売神社と呼ばれる斗売神社があるが、こちらは戦国期の勧請のようで、別の神社である。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、家内安全、夫婦和合

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・長野県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長野県に鎮座している神社の一覧
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氷鉋斗賣神社(ひがのとめじんしゃ。氷鉋斗売神社)は、長野県長野市稲里町下氷鉋にある神社。信越本線の川中島駅の西約2.4キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「氷鉇斗売神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。銫は「かんな」と読み、鉋と同じ文字。つまり、氷銫斗賣神社/氷銫斗売神社とも表記され、当社の社号標や鳥居扁額にはこちらが使われている。
もと氷鉋村は、上・中・下の三村に分かれ、下の社が氷銫斗賣神社と称し、上・中の社は諏訪社と称していたという。
このうち、おそらく上の諏訪社と呼ばれたのが、現在の御厨の更級斗女神社で、当社と同じく式内社「氷鉇斗売神社」の論社である。
当社の鎮座する川中島一帯は、戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)より戦場と化し、住民は離散し、荒涼とした地となった。
さらに、江戸時代中期の寛保2年(1742年)8月、犀川・千曲川の氾濫により、当社も流出し、当社の古記録も散逸した。
当社の主祭神は宇都志日金拆命(うつしひがなさくのみこと)。当社号「ひがなとめ」との関連が指摘されている。
ただし、斗賣/斗売は通常女神であり、宇都志日金拆命の妃か妹を祀るとする説もある。どちらにしろ、海神の綿津見神の系譜であり、阿曇連・安曇宿禰らの祖神か。
明治6年(1873年)4月、郷社に列した。現在までに建御名方命・八坂斗売命(八坂刀売神)を配祀する。例祭は9月23日。
境内社に、津島社(須佐之男命)、伊勢社(天照皇太神)、八幡宮(誉田別命)、天満宮(菅原道真)、養蚕社(保食命)、秋葉社(迦具土命)などがある。
なお、当社から西に約1.5キロほど、氷鉋公園に隣接して、川中島斗売神社と呼ばれる斗売神社があるが、こちらは戦国期の勧請のようで、別の神社である。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、家内安全、夫婦和合

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