川柳将軍塚古墳の南、布勢氏、かつて奈良前期の棟札
布制神社 長野県長野市篠ノ井石川2173
[住所]長野県長野市篠ノ井石川2173
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布制神社(ふせじんじゃ)は、長野県長野市篠ノ井石川にある神社。篠ノ井線の稲荷山駅の北約2キロ。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「布制神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。口伝によれば、布勢朝臣某が当地に下向し、布施郷の地を開拓に際し、祖神として正殿に三神を勧請したのに始まるという。

正殿の御祭神は、大倭根子彦國玖琉尊(孝元天皇)・大毘古命彦太忍信命。当社の北すぐには国の史跡である川柳将軍塚古墳がある。

近距離だが、現在は直線では進めず、回り込むように2キロほど歩く。善光寺平では森将軍塚古墳に次ぐ規模を誇り、善光寺平では珍しい前方後円墳。

倣製内行花文鏡をはじめとする鏡8面、碧玉製垂飾、勾玉、管玉、切子玉、小玉などが検出され、4世紀の築造とされている。当社祭祀との関連は不明。

古来、石川村の産土神として崇敬され、奈良時代前期の養老5年(721年)に再建されたという棟札が伝わっていたが、江戸時代前期の天和3年(1683年)に焼失した。

口碑では、奈良時代以前から鎮座していたという。後に、字丸山より誉田別尊、字虚空蔵山より大山祇命を奉遷、また諏訪二神(建御名方命・八坂刀売命)を合殿に祀った。

近世になり、諏訪大明神宮と呼ばれたが、江戸時代後期の文化6年(1809年)、京都吉田家より、石川布制神社と称すべしとの達しがあったという。

明治3年(1870年)11月、現社号に改称、明治6年(1873年)4月には村社に列し、明治27年(1894年)1月29日に郷社に昇格した。例祭は9月28日。

式内社「布制神社」の論社は他に、市内の篠ノ井布施五明篠ノ井山布施に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、厄災除け、家内安全、地域安全
布制神社 長野県長野市篠ノ井石川
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