力石さん、社頭に二つの力石、八頭山の麓の氷清水で奉斎
清水神社 長野県千曲市力石30-1
[住所]長野県千曲市力石30-1
[電話]-

清水神社(しみずじんじゃ)は、長野県千曲市力石にある神社。しなの鉄道線の坂城駅の西約2.5キロ。千曲川を渡り、その西岸。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「清水神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。武内清水神社とも。力石さま・力石さんとも。

創祀年代は不詳。古くは隣村である新山村の八頭山の麓に氷清水と称する冷泉が湧出する水口があり、そこに豊受姫命を奉斎したのが起源。

戦国時代の天文年間(1532年-1555年)、兵火に罹り、社殿や旧記も社殿とともに焼失した。

氷清水の水を里人が田水に用いてきたので、その辺を「清水の里」と呼ぶようになった。しかし、豊作に恵まれない年が続いたようだ。

そこで、再び豊受姫命に祈り、里人は毎年水口祭を開催、秋の収穫時には稲の初穂を供する習慣になったという。

江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)ごろ、現在地に遷座したという。現在までに、崇徳天皇・健御名方命を合祀している。

そのためか、往時は諏訪大明神とも、伊勢宮とも呼ばれたという。崇徳天皇については不明だが、金刀比羅宮を合祀したものか。例祭は秋季例祭が9月23日、春季例祭が4月第2日曜日。

当社境内、というよりも鳥居の向かって左側に、二つの力石が安置されている。これが当社の俗称、また地名につながったもので、市の有形文化財に指定されている。

南の力石は高さ134センチ、幅73センチ、最大厚さ67センチ、北の力石は高さ131センチ、幅93センチ、最大厚さ69センチ。

安山岩製で、時代は不明。ただし、地名になるほどのものだから、よくある近世後期や幕末のもの、とは考えづらい。

力石は力比べの石で、力石さんとも呼ばれる民俗行事がある。この行事の起源は古く、平安時代末から鎌倉時代初期にまで遡れる。

境内には小祠が多く祀られているが、詳細は不明。拝殿の左側に、「菅公千年祭紀念之碑」という石碑がある。

なお、式内社「清水神社」の論社は多く、他にいずれも長野市内で、真島町真島信更町田野口信更町三水にそれぞれ当社および式内同名神社がある。

ちなみに、『式内社調査報告』では当社を式内社「清水神社」の論社とはせず、上記の長野市内の三社のみを記載している。

【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、諸願成就
清水神社 長野県千曲市力石
【関連記事】
長野県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長野県に鎮座している神社の一覧