村内に豊富な湧き水、下流域の用水支配、幕末の拝殿彫刻
清水神社 長野県長野市信更町田野口1243
[住所]長野県長野市信更町田野口1243
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清水神社(しみずじんじゃ)は、長野県長野市信更町田野口にある神社。篠ノ井線の稲荷山駅の北西約3.7キロ、信更小学校の裏手。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「清水神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不祥。社伝によれば、第8代孝元天皇の孫である武内宿禰の後裔、田口朝臣が当地に下向し、当地住民に対して墾田農桑を勧めた。

当時村内において、清水山麓より大清水、小清水、御手洗清水、燈明田清水、大森清水、権田清水、櫻清水、平井手清水、戸口清水、吉久保清水など清水が湧き出していた。

これら清水を田養水に用いたという。そこで、当地に水神である罔象女命を勧請し、創立したのが起源だという。

その湧き水が流れて、聖川に落ち、その下流の各村の用水となったという。赤田、石川、塩崎、正和の4ヶ村の用水を支配したと伝わる。

これらの湧き水の水量は豊富で、社殿では数千年来というが、実質的には数百年来か、どちらにしろ干ばつ知らずの地だったという。

田口朝臣の舘跡が当社艮の方角、字和田山にあり、旧趾として現存しているという。近世の黒印地は除地1石を有した。江戸時代中期の寛政6年(1794年)、現社号に改称した。

江戸時代後期の文化9年(1812年)、明元流の宮澤文左衛門文鳴・小林斉太營斉・小林唯蔵信友の銘のある和算額が奉納された。

現在の拝殿の彫刻は、幕末の嘉永3年(1850年)、稲荷山村の小林五藤によるもの。

他に、俳句献額5面、願主が小林勇七・西村源左衛門・宮下佐源太・永井半左衛門の相撲額が伝わる。

明治になり、村社に列し、明治44年(1911年)には神饌幣帛料供進社に指定された。主祭神は罔象女命だが、現在までに事代主神健南方命・八坂斗売命を合祀している。

例祭は9月28日で秋季例大祭。一説に、例祭日は年始に決めるとも。境内にはいくつかの境内社が祀られている。

なお、式内社「清水神社」の論社は多く、他に、市内の信更町三水真島町真島千曲市力石に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、健康長寿、家内・地域安全
清水神社 長野県長野市信更町田野口
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