真島の地の蔵王権現、古市の里、式内は合祀の水戸神か?
清水神社 長野県長野市真島町真島2234-3
[住所]長野県長野市真島町真島2234-3
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清水神社(しみずじんじゃ)は、長野県長野市真島町真島にある神社。犀川と千曲川に挟まれた地、篠ノ井線の川島駅の西約5.4キロ。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「清水神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不祥。真島は古くは馬島と記し、『延喜式』の勅使牧に関係があったという説がある。ただ、更級郡には勅使牧はない。

御祭神は廣國押武金日命で、秋津比古神秋津比売神を配祀するが、もともとの式内社「清水神社」の御祭神は、秋津比古神・秋津比売神だったと考えっれる。

明治6年(1873年)の由緒書によれば、たびたびの水害のため、祠が流出するので、当地にあった蔵王権現に合祀し、跡に石祠を建てた、とある。

また、秋津比古神・秋津比売神という水戸神は、やはり後の変化で、その前には別の御祭神だったともされるが、不詳。式内社名から考えて、水戸神でも不都合はないと思うが。

現在は式内社名になっているとはいえ、御祭神から見ても、当地にあった蔵王権現が一貫して主だったようだ。鎮座位置も字名は藏王沖。

廣國押武金日命は第27代安閑天皇のことで、その御陵は河内の古市高屋丘陵。一方、当地も古くから「古市の里」と呼ばれていたともされる。

安閑天皇が蔵王権現となったのは、「金日命」と金峯山との兼ね合いからともされるが、御陵名により、直接的に安閑天皇と結び付いた蔵王権現という例は珍しいかもしれない。

江戸時代中期の寛政9年(1797年)7月、現社号の許可を得たというが、江戸時代後期の文政8年(1825年)に当社家より吉田家に提出された文書にも蔵王権現とあるという。

どちらにしろ、明治以前には権現社といった方が通りがよかったらしく、犀川の水害除けの神として祀られていたと考えられている。

例祭は10月4日で例大祭。秋祭りとして親しまれている。当社参道からは、1998年長野冬季五輪で使用されたホワイトリング(長野市真島総合スポーツアリーナ)が望める。

100メートルほどの長い参道に、比較的広々とした境内。正面に入母屋造妻入りの拝殿があり、扁額には「式内清水神社」とある。その後方に覆屋根が設置された流造の本殿。

境内社に、古刀比羅神社(古刀比羅大神)、宇賀社(宇賀神)、少彦名神社(少名彦神)、天満社(菅原大神)、八幡社(八幡大神)がある。

なお、式内社「清水神社」の論社は多く、他に、市内信更町の田野口三水千曲市力石に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、地域安全
清水神社 長野県長野市真島町真島
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