旧船山郷9ヶ村の総社、鎌倉期の旧本殿、御柱祭、完全空洞の大ケヤキ
[住所]長野県千曲市粟佐1324
[電話]-
粟狭神社(あわさじんじゃ)は、長野県千曲市粟佐にある神社。千曲川東岸、しなの鉄道線の屋代駅の北西約1.2キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 埴科郡「粟狭神社/粟狹神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。一説には、第11代垂仁天皇の御代の創祀とも言われる。杭瀬下・新田・鋳物師屋・寂蒔・内川・打沢・小島・桜堂・粟佐の船山郷9ヶ村の総社。
地名は「粟佐」だが、社名は「粟狭」。いずれも「あわさ」と読む。地名の由来には諸説ある。
1.アイヌ語で湿地を意味するアワから
2.穀物のアワから
3.当社名による
船山郷を含む近郷からも尊崇され、郷民の崇敬は厚く、大領の時代は祈願所として尊崇を受け 代々の領主からは 祭典料の寄進があった。
7年に一度の御柱大祭を斎行する。旧本殿は鎌倉時代後期の正応年間(1288年-1293年)以前の建造物とされ、現在も境内に本殿と並んで安置されている。
現在の本殿は幕末の慶応2年(1866年)の造営である。建築形式は唐破風を配した一間社流造。工匠は妻科出身の池田文四郎である。
文四郎は当時盛んになった立川流建築を諏訪の名匠立川和四郎富昌に21歳の頃から学び 晩年は立川姓の名跡を許された。
総欅の素木による生木を生かした建築彫刻で、この本殿は文四郎39歳の作。繊細流麗な彫刻はより一段と本殿の荘厳さをひき立たせている。
御祭神は、健御名方命。事代主命・少彦名命を配祀する。例祭は10月第1土曜日で秋季例祭。境内社に、養蚕社、秋葉社、天神社、荒神社、鹿島社、大己貴社、琴平社がある。
当社の最大の特徴の一つが大ケヤキ。参道途中にあり、参道を少しはみ出しながら存在する巨樹。樹高15メートル、目通り幹囲6.5メートル、推定樹齢は300年以上。
鳥居を区切り、参道を進むとすぐ目につくが、参道をさらに進み、その裏側に回ると、幹内部が完全に空洞であることが分かる。皮1枚で生きている状態。
幹内部が完全に空洞であるにもかかわらず、今でも成長を続けている、大いなる生命力を感じられる巨木。市指定保存樹林である。
【ご利益】
健康長寿、身体壮健、商売繁盛、病気平癒

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粟狭神社(あわさじんじゃ)は、長野県千曲市粟佐にある神社。千曲川東岸、しなの鉄道線の屋代駅の北西約1.2キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 埴科郡「粟狭神社/粟狹神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。一説には、第11代垂仁天皇の御代の創祀とも言われる。杭瀬下・新田・鋳物師屋・寂蒔・内川・打沢・小島・桜堂・粟佐の船山郷9ヶ村の総社。
地名は「粟佐」だが、社名は「粟狭」。いずれも「あわさ」と読む。地名の由来には諸説ある。
1.アイヌ語で湿地を意味するアワから
2.穀物のアワから
3.当社名による
船山郷を含む近郷からも尊崇され、郷民の崇敬は厚く、大領の時代は祈願所として尊崇を受け 代々の領主からは 祭典料の寄進があった。
7年に一度の御柱大祭を斎行する。旧本殿は鎌倉時代後期の正応年間(1288年-1293年)以前の建造物とされ、現在も境内に本殿と並んで安置されている。
現在の本殿は幕末の慶応2年(1866年)の造営である。建築形式は唐破風を配した一間社流造。工匠は妻科出身の池田文四郎である。
文四郎は当時盛んになった立川流建築を諏訪の名匠立川和四郎富昌に21歳の頃から学び 晩年は立川姓の名跡を許された。
総欅の素木による生木を生かした建築彫刻で、この本殿は文四郎39歳の作。繊細流麗な彫刻はより一段と本殿の荘厳さをひき立たせている。
御祭神は、健御名方命。事代主命・少彦名命を配祀する。例祭は10月第1土曜日で秋季例祭。境内社に、養蚕社、秋葉社、天神社、荒神社、鹿島社、大己貴社、琴平社がある。
当社の最大の特徴の一つが大ケヤキ。参道途中にあり、参道を少しはみ出しながら存在する巨樹。樹高15メートル、目通り幹囲6.5メートル、推定樹齢は300年以上。
鳥居を区切り、参道を進むとすぐ目につくが、参道をさらに進み、その裏側に回ると、幹内部が完全に空洞であることが分かる。皮1枚で生きている状態。
幹内部が完全に空洞であるにもかかわらず、今でも成長を続けている、大いなる生命力を感じられる巨木。市指定保存樹林である。
【ご利益】
健康長寿、身体壮健、商売繁盛、病気平癒

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