信濃長谷寺の南の下社、八聖大神を祀る上社は長谷寺境内に
長谷神社 長野県長野市篠ノ井塩崎960
[住所]長野県長野市篠ノ井塩崎960
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長谷神社(はせじんじゃ)は、長野県長野市篠ノ井塩崎にある神社。篠ノ井線の稲荷山駅の南西約1.2キロ、線路と長野自動車道に挟まれた地。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「長谷神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

上社と下社からなる。下社は長谷寺の南に鎮座し、上社は長谷寺境内に鎮座する。長谷寺は、第34代舒明天皇9年(637年)の建立。

第19代允恭天皇の後胤である白助翁が、父母の菩提を祈念したところ、信濃善光寺の阿弥陀如来の告げにより、大和初瀬より十一面観音菩薩を勧請し建立したのが起源。

長谷寺は現在、真言宗智山派の寺院。山号は金峯山。院号は龍福院。通称、信濃長谷寺・長谷観音とも呼ばれる。本尊は十一面観世音菩薩。

日本各地に数多くある長谷寺の中でも、大和・鎌倉の長谷寺とともに、日本三所(日本三長谷)と呼ばれ、三大長谷寺の一つである。

上社の御祭神は、八聖大神(はっしょうのおおかみ/はせのおおかみ)。つまり、長谷の大神だろう。

八聖大神は、信濃国造(科野国造)である神八井耳命の孫で、小長谷造などの祖だという。昔、長谷に五萬長者という者があり、この地を統治していた。

五萬長者の祖が八聖大神だという。式内社は下社の方だともされる。下社の御祭神は健南方命事代主命。古来、長谷郷の産土神で、諏訪大明神と称した。

平安時代初期には野馬背(やませ)と称したとも。科野国造の小長谷氏との関係が深く、古くは小長谷氏の氏神だったとも考えられている。

式内社「長谷神社」は平安時代前期の貞観2年(860年)2月、従五位下に、貞観7年(865年)3月には従四位下に、貞観9年(867年)3月には従四位上に進んだ。

江戸時代後期の天保7年(1836年)1月5日、吉田家より上下両社で現社号を称するように命じられた。

下社の例祭は10月2日で、秋季例大祭。下社の境内社に、天神社、水神社などがあり、水神社の脇には庚申の祠があって、猿と鶏が刻まれている。

上社は、長谷寺内の観音堂の左手奥に社殿がある。奥行きのない舞台のような構造の社殿で、奥に扉があるだけ。裏に回ると、後方に榊らしき木が祀られている。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、事業成功
長谷神社 長野県長野市篠ノ井塩崎
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