粟野の原、上野は粟野からの転化か、粟を生んだ神、9月例祭
[住所]長野県長野市上野1-652
[電話]-
粟野神社(あわのじんじゃ)は、長野県長野市上野にある神社。若槻地区、北しなの線の三才駅の北西2キロ、北長野駅の北3キロほど。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「粟野神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。当社の東方の原を「粟野の原」といい、鎮座地名の「上野(うわの)」は「粟野」からの訛りとする説もある。
戦国時代の永緑年間(1558年-1570年)、甲越交戦で兵火に罹り、焼失した。この時、古記録なども失った。
再建の際、北国街道に面して西向きに建てられたのが特徴。御祭神は現在、健御名方命で、少彦名命を配祀する形だが、もとは少彦名命が主だったとも。
少彦名命は粟を生んだ神とされ、社名や地名の起源となったというもいう。どちらにしろ、いずれかの時期に健御名方命が主となった。
そのため、近世には諏訪明神とも、粟野之神社・粟野神社とも称したが、江戸時代中期の天明6年(1786年)、現社号に改称した。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治40年(1907年)9月10日、神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は9月15日。
現在は9月第3日曜日のようで、神事は蚊里田八幡宮の神職によって執り行われている。獅子舞などが奉納される。境内では花火なども行われ、賑わう。
式内社「粟野神社」の論社は他に、市内豊野町石に当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、病気平癒、地域安全

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粟野神社(あわのじんじゃ)は、長野県長野市上野にある神社。若槻地区、北しなの線の三才駅の北西2キロ、北長野駅の北3キロほど。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「粟野神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。当社の東方の原を「粟野の原」といい、鎮座地名の「上野(うわの)」は「粟野」からの訛りとする説もある。
戦国時代の永緑年間(1558年-1570年)、甲越交戦で兵火に罹り、焼失した。この時、古記録なども失った。
再建の際、北国街道に面して西向きに建てられたのが特徴。御祭神は現在、健御名方命で、少彦名命を配祀する形だが、もとは少彦名命が主だったとも。
少彦名命は粟を生んだ神とされ、社名や地名の起源となったというもいう。どちらにしろ、いずれかの時期に健御名方命が主となった。
そのため、近世には諏訪明神とも、粟野之神社・粟野神社とも称したが、江戸時代中期の天明6年(1786年)、現社号に改称した。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治40年(1907年)9月10日、神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は9月15日。
現在は9月第3日曜日のようで、神事は蚊里田八幡宮の神職によって執り行われている。獅子舞などが奉納される。境内では花火なども行われ、賑わう。
式内社「粟野神社」の論社は他に、市内豊野町石に当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、病気平癒、地域安全

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