旧地に吉田の大イチョウ、桃山期に遷座、境内社が実に100社
[住所]長野県長野市吉田1-12
[電話]026-241-1595
皇足穂吉田大御神宮(すめたるほよしだおおみかみぐう)は、長野県長野市吉田にある神社。長電長野線の桐原駅の北約200メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「白玉足穂命神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。吉田神社とも。
創建年代は不詳。鎌倉幕府の史書『吾妻鑑』文治2年(1186年)の条に「佐馬寮(さまりょう) 吉田牧」が登場し、当地との関係が指摘される。
しかし、川中島の合戦の兵火で社殿が焼かれ、記録・史料の類が少ない。もともとは1キロほど東方の小町(現 吉田3丁目)に鎮座していた。
安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)、浅川の氾濫が頻発する地だったこと、北国街道が新たに整備されたことなどで、北国街道沿いの現社地に移転した。
この移転の際、周辺の神社を統合したことから、境内神社が大小あわせて100社ある珍しい形態となった。
その内訳は、伊勢神宮別宮(13社)、全国一宮(68社)、町内鎮守社(10社)、その他(9社)。
旧社地には御神木のイチョウが移転後もそのまま残され、現在も樹勢盛んである。「吉田のイチョウ」と呼ばれ、市の天然記念物に指定されている。
樹齢900年と推定され、樹高32メートル・目通り周囲8.6メートル・枝張り11-15メートルという巨木。戦前には県の天然記念物だった。
雄木であり、実はつけないが、樹皮を水に漬け母親に飲ませると母乳が出るようになるという言い伝えがあり、「乳イチョウ」と呼ばれる。
現在は「吉田大イチョウ保存会」が結成され、保存活動が行われている。
当社は、江戸時代後期の文政2年(1819年)、現社号に改称した。弘化4年(1847年)5月、善光寺地震により倒壊した。
御祭神は天照大神。例祭は9月26日で例大祭。秋の祭礼と呼ばれ、行列は今でも盛大。由緒のある鍋屋や上町住民を先頭に、今も町内を練り歩いている。
式内社「白玉足穂命神社」の論社は他に、いずれも市内の飯縄神社、皇足穂命神社諏訪社合殿、皇足穂命神社がある。
【ご利益】
開運招福、地域安全、事業成功、産業振興

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皇足穂吉田大御神宮(すめたるほよしだおおみかみぐう)は、長野県長野市吉田にある神社。長電長野線の桐原駅の北約200メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「白玉足穂命神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。吉田神社とも。
創建年代は不詳。鎌倉幕府の史書『吾妻鑑』文治2年(1186年)の条に「佐馬寮(さまりょう) 吉田牧」が登場し、当地との関係が指摘される。
しかし、川中島の合戦の兵火で社殿が焼かれ、記録・史料の類が少ない。もともとは1キロほど東方の小町(現 吉田3丁目)に鎮座していた。
安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)、浅川の氾濫が頻発する地だったこと、北国街道が新たに整備されたことなどで、北国街道沿いの現社地に移転した。
この移転の際、周辺の神社を統合したことから、境内神社が大小あわせて100社ある珍しい形態となった。
その内訳は、伊勢神宮別宮(13社)、全国一宮(68社)、町内鎮守社(10社)、その他(9社)。
旧社地には御神木のイチョウが移転後もそのまま残され、現在も樹勢盛んである。「吉田のイチョウ」と呼ばれ、市の天然記念物に指定されている。
樹齢900年と推定され、樹高32メートル・目通り周囲8.6メートル・枝張り11-15メートルという巨木。戦前には県の天然記念物だった。
雄木であり、実はつけないが、樹皮を水に漬け母親に飲ませると母乳が出るようになるという言い伝えがあり、「乳イチョウ」と呼ばれる。
現在は「吉田大イチョウ保存会」が結成され、保存活動が行われている。
当社は、江戸時代後期の文政2年(1819年)、現社号に改称した。弘化4年(1847年)5月、善光寺地震により倒壊した。
御祭神は天照大神。例祭は9月26日で例大祭。秋の祭礼と呼ばれ、行列は今でも盛大。由緒のある鍋屋や上町住民を先頭に、今も町内を練り歩いている。
式内社「白玉足穂命神社」の論社は他に、いずれも市内の飯縄神社、皇足穂命神社諏訪社合殿、皇足穂命神社がある。
【ご利益】
開運招福、地域安全、事業成功、産業振興

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