もとは皇足山、平安中期犀川近くに遷座、拝殿左右に御柱
[住所]長野県長野市信州新町里穂刈302-7
[電話]-
皇足穂命神社(すめたるほのみことじんじゃ)は、長野県長野市信州新町里穂刈にある神社。犀川北岸、国道19号線が県道391号線と交わる地点の近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「白玉足穂命神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。当地草創の時、ある住民が夢のお告げにより、新たに土田を開き、稲穀を播き、御神徳を尊崇して、山穂刈の皇足山に一社を創建したという。
その社域は広く、三町歩と記禄され、古木が鬱蒼として、勅使殿・御手洗池などがあったと伝えられている。
平安時代中期の万寿4年(1027年)、大風雨により皇足山の東南が崩落したため、翌長元元年(1028年)8月、現在地に遷座した。
安土桃山時代の天正12年(1584年)、犀川の洪水により社頭が流失した。江戸時代中期の寛保年間(1741年-1744年)、再度犀川が出水、被害に遭った。
江戸時代後期の文政年間(1818年-1820年)、当時の神主の無学により、社号を穗刈神留神社(ほかりかんとめじんじゃ)に改称してしまったという。
弘化4年(1847年)、大震災に見舞われ被災。明治6年(1873年)、村社に列し、明治29年(1896年)4月に旧称の回復が認められ、現社号になった。
御祭神は迩迩藝命。相殿に、健御名方命・八坂刀売命・倉稲魂命・大山祇命を祀る。例祭は10月第1日曜日。御柱祭が開催され、拝殿前左右に御柱が立っている。
式内社「白玉足穂命神社」の論社は他に、いずれも市内の飯縄神社、皇足穂命神社諏訪社合殿、皇足穂吉田大御神宮がある。
【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、事業成功

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・長野県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長野県に鎮座している神社の一覧
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皇足穂命神社(すめたるほのみことじんじゃ)は、長野県長野市信州新町里穂刈にある神社。犀川北岸、国道19号線が県道391号線と交わる地点の近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「白玉足穂命神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。当地草創の時、ある住民が夢のお告げにより、新たに土田を開き、稲穀を播き、御神徳を尊崇して、山穂刈の皇足山に一社を創建したという。
その社域は広く、三町歩と記禄され、古木が鬱蒼として、勅使殿・御手洗池などがあったと伝えられている。
平安時代中期の万寿4年(1027年)、大風雨により皇足山の東南が崩落したため、翌長元元年(1028年)8月、現在地に遷座した。
安土桃山時代の天正12年(1584年)、犀川の洪水により社頭が流失した。江戸時代中期の寛保年間(1741年-1744年)、再度犀川が出水、被害に遭った。
江戸時代後期の文政年間(1818年-1820年)、当時の神主の無学により、社号を穗刈神留神社(ほかりかんとめじんじゃ)に改称してしまったという。
弘化4年(1847年)、大震災に見舞われ被災。明治6年(1873年)、村社に列し、明治29年(1896年)4月に旧称の回復が認められ、現社号になった。
御祭神は迩迩藝命。相殿に、健御名方命・八坂刀売命・倉稲魂命・大山祇命を祀る。例祭は10月第1日曜日。御柱祭が開催され、拝殿前左右に御柱が立っている。
式内社「白玉足穂命神社」の論社は他に、いずれも市内の飯縄神社、皇足穂命神社諏訪社合殿、皇足穂吉田大御神宮がある。
【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、事業成功

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