馬に乗って降臨した神、最大の官営牧場に発展、8月榊祭り
[住所]長野県佐久市望月233
[電話]0267-53-4853

大伴神社(おおともじんじゃ)は、長野県佐久市望月にある神社。望月城址の南、歴史資料館のそば。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 佐久郡「大伴神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

社伝によれば、第12代景行天皇40年、大伴武日命が馬に乗って当地に降臨、鎮座したと伝わる。大伴武日命は天忍日命のことで、大伴氏の祖神。

乗って来た馬を種馬として駒の改良繁殖を図ったと伝わる。もとより当地は、高原台地にあり牧草地に適した場所であった。

飛鳥時代末期の大宝年間(701年-704年)、諸国に牧場が設置され、後年、信濃国最大の官営牧場となった。

いわゆる望月牧で、当社は望月牧の鎮守、望月牧の守護神としても崇敬された。大伴宮、樋口宮、御牧七郷の総社とも。『拾遺和歌集』に下記の歌が収録されている。
紀貫之
逢坂の 関の清水に 影見えて いまや曳くらむ もちづきの駒
もとは現在地の北数百メートルの「椀ノ木」に鎮座していたといい、現在もその地には古宮などの地名が残っている。

平安時代前期の仁寿元年(851年)には正六位上に進み、延長5年(927年)には従五位上に叙せられた。

天慶2年(939年)、平将門の叛乱討伐のため、望月国忠が出征する際、当社に願文を捧げ奉幣したと伝えられる。

室町時代の長享2年(1488年)、村上顕国が佐久郡に乱入した際、当社も被災した。その後、望月対馬守盛世が再建したという。

安土桃山時代の天正17年(1589年)、社領として3270文。江戸時代には、4石1斗5升7合の朱印地が寄進された。

江戸時代前期の延宝5年(1677年)、本殿が再建された。これが現在の本殿で、春日造だという。覆屋があり、外からはうかがうことはできない。

江戸時代中期の寛政年間(1789年-1801年)、佐久郡内の各神社の神官が佐久郡内一の大社である新海神社の神事へ奉仕することになっていたが、当社はこれを拒否。

この時拒否したのは、当社以外では、英多神社長倉神社で、いずれも式内社であることを理由とした。新海神社は寺社奉行へ訴訟を起こすまで事件は発展した。

御祭神は天忍日命・天道根命。月読命も併せて祀るという。御嶽社(素盞嗚尊大己貴命少名彦命)など数十柱を合祀しているという。例祭は4月18日とも。

毎年8月15日に開催される信州の奇祭「榊祭り」は当社の例祭。4基の神輿が激しくぶつかり合うクライマックスを境内で迎えた後、奉納される。

もともとは望月の南東部にある標高800メートルの松明山の頂上に小屋を造り火を放ち、そこから百数十人の若者が持参の松明に点火。

それを持って、2キロの山道を走り下り、鹿曲川にかかる望月橋から松明を投げ入れた火祭りだったという。

榊祭りは、安原のお舟祭、御代田町の龍神祭りとともに、佐久地方の三大奇祭の一つとされる。

望月宿の通りに参道があり、鳥居には御嶽宮・大伴宮という扁額が掲げられている。鳥居をくぐり、階段を登ると拝殿・本殿へ至る。

境内には道祖神や石祠なども祀られている。拝殿前には昭和15年(1940年)12月建立の狛犬がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、身体壮健、厄災除け
大伴神社 長野県佐久市望月
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