武田信玄が太刀を奉納、9月下旬に佐久三大奇祭の一つ「お舟祭」
英多神社 長野県佐久市安原1669
[住所]長野県佐久市安原1669
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英多神社(えたじんじゃ)は、長野県佐久市安原にある神社。八ヶ岳高原戦の岩村田駅の東約4.4キロ。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 佐久郡「英多神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。南北朝初期の建武年間(1334年-1336年)、室町時代の文明年間(1469年-1487年)に兵火にかかり、しばらく神宮司の安養寺が守護した。

さらに、戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、再度兵火により社殿、古記録などを焼失した。ただし、永禄6年(1563年)、武田信玄が太刀を奉納したとも伝わる。

御祭神は建御名方命三輪大物主命大国主命)だったが、天文年間(1532年-1555年)に建御名方命1柱とし、現在に至る。

安土桃山時代の天正11年(1583年)、依田平三昌秀より永500貫文の寄進があり、江戸時代前期の寛永7年(1630年)、徳川将軍家より高5斗が寄進された。

神領下賜の印書が現存する。また、江戸時代中期の享保14年(1729年)正月27日、正一位の宗源宜旨を受けた。

寛政年間(1789年-1801年)、佐久郡内の各神社の神官が佐久郡内一の大社である新海神社の神事へ奉仕することになっていたが、当社はこれを拒否。

この時拒否したのは、当社以外では、長倉神社大伴神社で、いずれも式内社であることを理由とした。新海神社は寺社奉行へ訴訟を起こすまで事件は発展した。

ちなみに、式内社「英多神社」の他の論社がこの新海神社である。明治6年(1873年)4月、村社に列した。

9月下旬、当社の特殊神事「お舟祭」が行われる。若衆が舟形の神輿をかついで町内を練り歩き、最後の里宮に奉遷するが、舟が壊れる。多く壊れた方が豊作になるという。

望月の榊祭り、御代田町の龍神祭りとともに、佐久地方の三大奇祭の一つとされる。舟をかたどった神輿、いわゆる「お舟様」に御霊代と呼ばれる御神体を乗せ区内を巡幸。

神輿が舟の形である理由は諸説あるが、かつて当地には湖があり、舟を使うことが日常的だったためという説がある。

当社の拝殿は、銅板葺き二重屋根。上層が入母屋造り屋根妻入りで、初層が入母屋造り屋根平入り、唐破風軒向拝。本殿は銅板葺きの流造。

【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、地域安全
英多神社 長野県佐久市安原
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