日本武尊が越えた峠に天照大神を勧請、百社大明神、江戸後期本殿
[住所]長野県千曲市上山田3503-イ
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波閇科神社(はべしなじんじゃ)は、長野県千曲市上山田にある神社。しなの鉄道線の戸倉駅の南西約2.8キロ。千曲川西岸。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「波閇科神社/波閉科神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

第12代景行天皇の御宇だろうか、日本武尊が当地の波閇科(はべしな)の峠を越えた時、天照大神を勧請したのが起源だという。

「はべ」は「蔓」、「しな」は「坂」の意で、蔓のように曲がりくねった坂ということになる。当地では、「四十八曲坂」という。

もとはその波閇科峠に鎮座したが、室町時代になり、現在地に遷座したという。戦国時代、川中島の戦いの兵火で社殿は焼失し、一時衰退したが、その後再興された。

江戸時代中期の正徳2年(1712年)検地帳には、百社大明神とある。天明2年(1782年)、現社号に復することが許された。

ただし、現在でも社殿には「百科大神宮」と書かれた扁額がある。江戸時代後期の文化10年(1813年)11月に再建した。これが現在の本殿である。

三間社、切妻、平入り、茅葺。桁行3間(3.2メートル)、梁間2間(2.15メートル)、伊勢皇太神宮の社殿形式を模した神明造で、市指定有形文化財。

明治6年(1873年)、村社に列し、明治15年(1882年)10月27日には郷社に昇格した。御祭神は、天照大神で、現在までに豊受大神・日本武尊を配祀する。

例祭は9月秋分で秋季例祭。本殿から南へ約1キロの場所にある一の鳥居から、本殿に至る参道に、各集落が分担する幟と灯篭がそれぞれ立てられる。

【ご利益】
開運招福、交通安全、五穀豊穣
波閇科神社 長野県千曲市上山田
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