当地に隠れ住んだ計命・弘計命の二皇孫を祀る式内論社
木積神社 京都府京丹後市大宮町久住165
[住所]京都府京丹後市大宮町久住165
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木積神社(きづみじんじゃ)は、京都府京丹後市大宮町久住にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の峰山駅の西約8キロ、京丹後大宮駅の北東約8キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「木積神社(丹後国・与謝郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。もとは当社は刈安(かりやす)の奥宮に鎮座した。後に、刈安の宮、現在の古久住口(こくすみぐち)に移った。

久住の村落が南の地に移動したので、江戸時代後期の弘化4年(1847年)8月、現在地の中ノ谷に遷座した。

古久住口の元地には、石を並べた階段の跡地が残っていたのが確認されていたが、昭和55年(1980年)の農地圃場整備事業により土砂で埋没した。

木積山は、周枳・明田・久住・河辺にまたがる山である。当社は今新熊野宮、高森大明神、三島大明神と呼ばれた。御祭神は、億計命弘計命大山祇神

億計命・弘計命は後の第24代仁賢天皇・第23代顕宗天皇であるが、第17代履中天皇の皇孫である。

『古事記』にも描かれた、億計命・弘計命の逃避行において、当地には三重の長老五十日真黒人の家に隠れたという伝承が残る。

そのため、その村を皇位村とも呼んだ。三重の地にはやはり式内社「三重神社」がある。その論社に式内同名神社と、大屋神社がある。

『丹後旧事記』に「木積神社皇住村祭神弘計尊億計尊延喜式小社」とあり、『御料所内記』にも「木積神社式内三島大明神祭一〇月一二日久住村」とある。

式内社「木積神社」の論社は他に、与謝野町弓木の当社および式内同名神社がある。なお、延利の高森神社には当社の御祭神の二皇孫の一体と伝えられる神像が祀られている。

当社の例祭は10月12日。

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木積神社 京都府京丹後市大宮町久住
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