孫の二皇子が履中天皇・皇后を奉斎した真鈴宮、4月祭礼で太刀振り
[住所]京都府宮津市須津吉里1546
[電話]-
須津彦神社(すづひこじんじゃ)は、京都府宮津市須津吉里にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の岩滝口駅の南東約600メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』丹後国与謝郡にある「吾野神社」「阿知江いそべ神社」に比定される式内社(小社)の論社。「いそ」は山偏に石で、「べ」は部。近代社格では村社。
拝殿額には「須津彦神社・須津姫神社」とあり、二つの神社からなる。須津彦・須津姫神社などとも。
須津彦神社は第17代履中天皇を去来穂別天皇として、須津姫神社は履中天皇の皇后を久呂比売命として祀る。
第20代安康天皇の御代、後の第21代雄略天皇に父である市辺押磐皇子(履中天皇の子)を殺された弘計命は兄の億計命とともに与謝郡(余社郡)に難を逃れた。
この時、二皇子は身を隠した御所の地に仮宮を造営し、真鈴宮と称して居住、祖父の去来穂別天皇と祖母の久呂比売命の御霊を鎮め祀った。
当初は現在の宮ケ谷、王谷(大谷)の地に奉斎したと伝えられる。当社境内には、摂社として弘計命を祀る西之荒神(大西大神)、億計命を祀る東之荒神(東山大神)がある。
平安時代初期の大同2年(807年)、現在の吉里の地に遷座し、村人の氏神として崇敬された。嘉祥2年(894年)、社殿を再建、その軒札には「須津彦・須津姫」とある。
『丹哥府志』で、当社を式内社「阿知江いそべ神社」に比定している。他の論社に、与謝野町の加悦の天満神社の境内社である吾野神社、岩屋の式内同名神社がある。
式内社「吾野神社」の論社は他に、先の加悦天満宮の境内社である吾野神社と、市内文珠の吉野神社がある。
社宝として、第82代後鳥羽天皇の御宸筆短冊、第120代仁孝天皇の御手箱などがあるという。明治6年(1873年)、村社に列した。例祭は4月25日。
祭礼には太刀振りが奉納される。「大太刀」と呼ばれる丹後のスタンダードな型。他に、「露の舞」「花の舞」などの笹ばやし、神楽も奉納される。
境内社に、先の西之荒神・東之荒神の他、稲荷神社(倉稲魂命)、宇多和津神社(速総別命)、八幡神社(誉田別命)がある。
隼総別命は珍しいが、当地にも『古事記』に描かれた、第16代仁徳天皇の御宇における女鳥姫にまつわる悲恋が伝わっている。
西之荒神・東之荒神とともに合社として祀られているものに、大社大神(大国主命)、廣峯神社(須佐之男命)、若宮神社がある。
社頭には明治33年(1900年)建立で、阿吽の位置が反対の出雲構え獅子がある。拝殿前には昭和2年(1927年)建立の滋賀タイプの狛犬が安置されている。
境内の稲荷神社の前には、明治44年(1911年)10月建立の神使の狐像がある。合社の前にも一対の出雲丹後狛犬があり、他に英魂碑などがある。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、平穏安寧、地域安全
【関連記事】
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
[電話]-
須津彦神社(すづひこじんじゃ)は、京都府宮津市須津吉里にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の岩滝口駅の南東約600メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』丹後国与謝郡にある「吾野神社」「阿知江いそべ神社」に比定される式内社(小社)の論社。「いそ」は山偏に石で、「べ」は部。近代社格では村社。
拝殿額には「須津彦神社・須津姫神社」とあり、二つの神社からなる。須津彦・須津姫神社などとも。
須津彦神社は第17代履中天皇を去来穂別天皇として、須津姫神社は履中天皇の皇后を久呂比売命として祀る。
第20代安康天皇の御代、後の第21代雄略天皇に父である市辺押磐皇子(履中天皇の子)を殺された弘計命は兄の億計命とともに与謝郡(余社郡)に難を逃れた。
この時、二皇子は身を隠した御所の地に仮宮を造営し、真鈴宮と称して居住、祖父の去来穂別天皇と祖母の久呂比売命の御霊を鎮め祀った。
当初は現在の宮ケ谷、王谷(大谷)の地に奉斎したと伝えられる。当社境内には、摂社として弘計命を祀る西之荒神(大西大神)、億計命を祀る東之荒神(東山大神)がある。
平安時代初期の大同2年(807年)、現在の吉里の地に遷座し、村人の氏神として崇敬された。嘉祥2年(894年)、社殿を再建、その軒札には「須津彦・須津姫」とある。
『丹哥府志』で、当社を式内社「阿知江いそべ神社」に比定している。他の論社に、与謝野町の加悦の天満神社の境内社である吾野神社、岩屋の式内同名神社がある。
式内社「吾野神社」の論社は他に、先の加悦天満宮の境内社である吾野神社と、市内文珠の吉野神社がある。
社宝として、第82代後鳥羽天皇の御宸筆短冊、第120代仁孝天皇の御手箱などがあるという。明治6年(1873年)、村社に列した。例祭は4月25日。
祭礼には太刀振りが奉納される。「大太刀」と呼ばれる丹後のスタンダードな型。他に、「露の舞」「花の舞」などの笹ばやし、神楽も奉納される。
境内社に、先の西之荒神・東之荒神の他、稲荷神社(倉稲魂命)、宇多和津神社(速総別命)、八幡神社(誉田別命)がある。
隼総別命は珍しいが、当地にも『古事記』に描かれた、第16代仁徳天皇の御宇における女鳥姫にまつわる悲恋が伝わっている。
西之荒神・東之荒神とともに合社として祀られているものに、大社大神(大国主命)、廣峯神社(須佐之男命)、若宮神社がある。
社頭には明治33年(1900年)建立で、阿吽の位置が反対の出雲構え獅子がある。拝殿前には昭和2年(1927年)建立の滋賀タイプの狛犬が安置されている。
境内の稲荷神社の前には、明治44年(1911年)10月建立の神使の狐像がある。合社の前にも一対の出雲丹後狛犬があり、他に英魂碑などがある。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、平穏安寧、地域安全
【関連記事】
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
コメント