室町期に現在地に遷座、浦島太郎のモデルなどを合併、7月に火祭り
[住所]京都府京丹後市網野町網野789
[電話]0772-72-0079
網野神社(あみのじんじゃ)は、京都府京丹後市網野町網野にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の網野駅の北約2キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「網野神社(丹後国・竹野郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社。
創祀年代は不詳。一説に、第11代垂仁天皇の御宇、天湯川板挙命が創祀したとも。現在も境内には早尾神社があり、天湯川板挙命が祀られている。網野の地名発祥とも。
もとは三箇所と呼ばれる地、銚子山古墳東南の根本宮山に鎮座したという。室町時代の享徳元年(1452年)、現在地に合併、奉遷した。
御祭神は日子坐王。この際の合併により、宮ノ奥の住吉大神、浦島宮山に鎮座した熊野神社(浦島子神。水江浦嶋子神とも)も祀られるようになった。
水江浦嶋子神は、かつて網野村字福田の園という場所に暮らし、毎日釣りを楽しんでいたが、ある時、海神の都に通い、数年を経て帰郷した。
今日まで伝わる説話や童話で有名な「浦嶋太郎(浦島太郎)」のモデルである。
江戸時代前期の延宝5年(1677年)、元禄4年(1691年)、江戸時代中期の天明2年(1782年)、本殿の修復や再建が行われ、その際は住吉大明神と呼ばれた。
浦嶋大明神・淺茂川明神とも。江戸時代後期の嘉永2年(1849年)、本殿の屋根が修復された。
明治6年(1873年)2月10日には村社に列し、明治40年(1907年)3月1日、神饌幣帛料供進社に指定された。
大正11年(1922年)、現在の本殿と、拝殿が新築され、御神体も新社殿へ遷座した。大正13年(1924年)、旧本殿の屋根を葺き替え、杮葺とした。
大正14年(1925年)、旧本殿を蠶織神社(こおりじんじゃ。蚕織神社)として祭祀。昭和2年(1927年)、丹後大震災 により当社社殿も大きな被害を受けた。
昭和4年(1929年)、震災により倒壊した拝殿を復旧。昭和18年(1943年)には府社に昇格、同年7月に手水舎や神饌所が新築された。
本殿・拝殿、拝殿と同じく昭和4年の渡廊、神饌所、透塀、天明2年造立の旧本殿である蠶織神社、手水舎、石鳥居が国の登録有形文化財となっている。
境内社に、蠶織神社(天照大神・天棚機姫大神・和久産巣日神・大宜津比売神、金山彦命・高龗神・大日孁神・若宇賀之女命)と早尾神社の他、下記の各社がある。
愛宕神社(火産霊神)、立脇神社(稚産灵神・保食神・稲倉魂神・火遇津智神)、市杵嶋神社(市杵嶋比女命)
当社の例祭は10月体育の日。神輿渡御などが行われる。神輿は2基あり、一つには住吉大神と水之江浦嶋子神が、もう一つには日子坐王が遷る。
7月24日には愛宕神社例祭並びにマンドリ神事があり、火祭りとして知られ、神楽や網野太鼓など芸能奉納の神賑行事もある。
4月中旬には蠶織神社祈願祭、通称「ちりめん祭」が行われる。1月14日が古札焼納神事(どんど焼き)、6月30日が茅の輪くぐり神事。
蠶織神社は、京丹後市と与謝野町の織物関係者グループ「丹後織物禊(みそぎ)の会」による、丹後ちりめんの袋におみくじを入れた「ちりめんおみくじ」でも知られている。
【ご利益】
地域安全、交通安全、産業振興、事業成功(公式HP)
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[電話]0772-72-0079
網野神社(あみのじんじゃ)は、京都府京丹後市網野町網野にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の網野駅の北約2キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「網野神社(丹後国・竹野郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社。
創祀年代は不詳。一説に、第11代垂仁天皇の御宇、天湯川板挙命が創祀したとも。現在も境内には早尾神社があり、天湯川板挙命が祀られている。網野の地名発祥とも。
もとは三箇所と呼ばれる地、銚子山古墳東南の根本宮山に鎮座したという。室町時代の享徳元年(1452年)、現在地に合併、奉遷した。
御祭神は日子坐王。この際の合併により、宮ノ奥の住吉大神、浦島宮山に鎮座した熊野神社(浦島子神。水江浦嶋子神とも)も祀られるようになった。
水江浦嶋子神は、かつて網野村字福田の園という場所に暮らし、毎日釣りを楽しんでいたが、ある時、海神の都に通い、数年を経て帰郷した。
今日まで伝わる説話や童話で有名な「浦嶋太郎(浦島太郎)」のモデルである。
江戸時代前期の延宝5年(1677年)、元禄4年(1691年)、江戸時代中期の天明2年(1782年)、本殿の修復や再建が行われ、その際は住吉大明神と呼ばれた。
浦嶋大明神・淺茂川明神とも。江戸時代後期の嘉永2年(1849年)、本殿の屋根が修復された。
明治6年(1873年)2月10日には村社に列し、明治40年(1907年)3月1日、神饌幣帛料供進社に指定された。
大正11年(1922年)、現在の本殿と、拝殿が新築され、御神体も新社殿へ遷座した。大正13年(1924年)、旧本殿の屋根を葺き替え、杮葺とした。
大正14年(1925年)、旧本殿を蠶織神社(こおりじんじゃ。蚕織神社)として祭祀。昭和2年(1927年)、丹後大震災 により当社社殿も大きな被害を受けた。
昭和4年(1929年)、震災により倒壊した拝殿を復旧。昭和18年(1943年)には府社に昇格、同年7月に手水舎や神饌所が新築された。
本殿・拝殿、拝殿と同じく昭和4年の渡廊、神饌所、透塀、天明2年造立の旧本殿である蠶織神社、手水舎、石鳥居が国の登録有形文化財となっている。
境内社に、蠶織神社(天照大神・天棚機姫大神・和久産巣日神・大宜津比売神、金山彦命・高龗神・大日孁神・若宇賀之女命)と早尾神社の他、下記の各社がある。
愛宕神社(火産霊神)、立脇神社(稚産灵神・保食神・稲倉魂神・火遇津智神)、市杵嶋神社(市杵嶋比女命)
当社の例祭は10月体育の日。神輿渡御などが行われる。神輿は2基あり、一つには住吉大神と水之江浦嶋子神が、もう一つには日子坐王が遷る。
7月24日には愛宕神社例祭並びにマンドリ神事があり、火祭りとして知られ、神楽や網野太鼓など芸能奉納の神賑行事もある。
4月中旬には蠶織神社祈願祭、通称「ちりめん祭」が行われる。1月14日が古札焼納神事(どんど焼き)、6月30日が茅の輪くぐり神事。
蠶織神社は、京丹後市と与謝野町の織物関係者グループ「丹後織物禊(みそぎ)の会」による、丹後ちりめんの袋におみくじを入れた「ちりめんおみくじ」でも知られている。
【ご利益】
地域安全、交通安全、産業振興、事業成功(公式HP)
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