物部韓国連に連なる大石宿祢三原麿を祀る、江戸後期に山神宮
鏡神社 兵庫県豊岡市三原730
[住所]兵庫県豊岡市三原730
[電話]0796-28-2468 - 絹巻神社

鏡神社(かがみじんじゃ)は、兵庫県豊岡市三原にある神社。近代社格では村社。山陰本線の城崎温泉駅の東、京都丹後鉄道宮豊線の久美浜駅の北西。御朱印の有無は不明。

韓国の諸国が朝鮮族の南進によって朝貢しなくなり、大売布命の末裔、物部多遅麻連真鳥が第25代武烈天皇の勅により韓国に遣わされ、平定した。

この功により、真鳥は物部韓国連(からくにのむらじ)を賜った。その子が榛麿で、第29代欽明天皇25年(564年)、城崎郡司となった。

古名を墾谷、針谷、榛谷ともいった飯谷に居住し、榛麿が父である物部韓国連真鳥を祀ったのが、韓國神社の起源。当社南西約5.4キロに鎮座する。

榛麿の子が神津主命で、神津主命が亡くなると、その子である久々比(鵠)が第33代推古天皇25年(617年)12月、城崎郡司となり、敷浪の丘に父の神霊を祀った。

これが重浪神社の起源で、当社南西約3キロに鎮座する。久々比(鵠)も死後、奉斎された。当社の南約13キロ、現在の久々比神社である。

同じく榛麿の子で、多遅麻の校尉に格麿がいる。格麿は大石宿禰を賜り、以後大石とした。格麿の子が三原麿で、城崎郡の軍団大将である大領を務めた。

奈良時代後期、第49代光仁天皇の宝亀10年(780年)春3月、大石宿禰三原麿の子、正躬(まさみ)を城崎郡司として、正八位上を授けた。

大石宿禰正躬は、三原麿を葬り、祠をその傍らに建て、これを祀った。これが当社の起源であり、当初は三原神社と称した。

また、主帳の大蔵宿祢味須鳥に命じ、神社の格例を定め、式典を挙げ、それを慣例として定着させたという。

御祭神は大石宿祢三原麿。いつしか社名も忘れられ、江戸時代後期の弘化2年(1846年)2月、京都白川家より山神宮の呼称を受けた。

その後、さらに鏡大明神の旧名に変更を求め、これが許された。明治6年(1873年)10月、村社に列した。例祭は10月10日以降の最初の土曜日。

【ご利益】
地域安全、家内安全
鏡神社 兵庫県豊岡市三原
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